そこにいてもつまんねぇだろ、お前もこっち側にこいよと挑発する本
★★★★☆
本書は批評家(?)の山形浩生のエッセイ集の文庫版。
ウェブ上での天上天下唯我独尊キャラそのままに、各所方面に対する意見
やアイデアを書き飛ばしている。HP上の文章の再録も多いが、本人曰わく
書き下ろしも三分の一ほど含まれている。
この人ほどその仕事が分野にとらわれない人もあまりいない。情報論やネッ
ト論はともかく、ドンヨリした日本経済をぱっと活性化させるための“あの施策”
やら、民主主義の根幹を揺さぶるような“あのアイデア”まで、この人にとって
分野や領域や専門性とは、言ってる側が恥ずかしくなるほど無意味に帰すも
のなのかも知れない。
もちろんそんな快刀乱麻の活躍を彼に許すのは、膨大な知識量と“教養”とい
う裏打ちがあってこそ。反面、初読者の中にはこの「不遜な文体」を読み進め
ていくうちに、本を地面に叩きつけたい衝動に駆られる人もいるかもしれない
(というかほどんどそっちかも)。だがそういう人は思いとどまって、もう一度こ
の本を注視してみよう。
山形氏を形作っているものを注意深くたぐっていくと、おそらく最後に残るのは、
知への純粋なる好奇心だ。「おもしれぇ」と感じる喜び。本書に収められた書評
を読めばわかるのは、同じ映画でも、同じマンガでも、前提知識の過多は対象
をつまらなくはさせない。むしろその「おもしろさ」をより豊かなものにするのだ。
それをこの著者は、パフォーマティブに発散している。それに行間から聞こえて
くる。お前ももっとすんごい世界に来いよって(え、聞こえない?そういうあなた
はもう一度プロローグを丹念に読み直してみよう)。
ただ惜しむらくは、「あとがき」に「真っ赤なウソやデタラメ、誇張や歪曲も含まれ
ている」とあること。いや別にそんなの分かっているという話で、こんな文言を入
れてしまったのは、後からバカやアホにたかられるのをめんどくさがったからか?
こういったところで、山形氏が奇才になりきれない秀才なんじゃないかと、評者は
思うのだ。
高校の図書館の本棚にさりげなく置いてあって欲しい本
★★★★★
10年前に私は就職して、下宿先でこの本をドキドキしながら読んだの
を覚えています。まえがきに、この本の中身は少なくとも10年は
持つということが書かれていて、エラい強気な予測だーと
思いつつ読みふけりました。でも本当に予測はあたっていました。
昨年末、リターンズが街の本屋さんに並んでいて電車で読みながら、
やっぱりこの本を読み返したくなりました。読み返してみたら、
やっぱりすごかった。この本には減量した直後のボクサーのような
切れ味があるのです。私はリターンズよりこの本がずっと好きです。
高校の図書館に、できれば推薦図書とかじゃなくて、奥にひっそり、
でも目立つように置いておいて欲しい本です。
パブリックな知への信頼
★★★★☆
今回も本書の帯に書かれてしまっているが、よく違和感を感じるのが、山形氏を形容する「態度がでかい」という言葉。
実は、彼がとりあげるテーマやそのアプローチ、文体は、彼のパブリックな知への信頼に裏付けられた、かぎりない誠実さとやさしさによるものだということが、もっと理解されるべきだと感じる。
本書でいう「教養」がどのような意味を持つかついて論じた冒頭部分や、彼の姿勢の具体的な実践としての「杉田玄白プロジェクト」の紹介からは、そうした彼の真髄を大変わかりやすい形で触れることができる。
非常に惜しい教養啓蒙への試みの欠落
★★★☆☆
政治・経済・情報・文化・セックス・マンガなど幅広い分野で発揮される氏の毒と饒舌をブレンドさせた文章と博識さに脱帽。
しかし、読後感は咀嚼不足で何かが物足りない。
いや、物足りないどころかお腹が空いて仕方がない。満たされない空腹感をどうしてくれよう。
なぜ、私は空腹感に苛まれているのか以下、説明しよう。
書き下ろし部分のプロローグでは、文化基盤や知的インフラを広めるはずの教養を説明し、まとめて組みあげて、皆に仕込むと意気込んでいた。つまり、啓蒙の表明である。さらに、そのための方法論が具体的だった。
「既存の結論があって、そこに話をこじつけていくことばかりみんな考えている」という透徹な認識をもとに、アレねアレねと皆がしったかぶってしまうことを筆者は批判する。たとえば、こんな風に。
「楽隊がグズみてぇな演奏しやがったときに「ブラボー」とかいって拍手してアンコールまで要求するタコは山ほどいる。」
痛い指摘である。たとえば、我々はせいぜい統一理論という言葉は知っていても、それが何かをきちんと説明できていない。
つまり、しったかぶりなのだ。
著者は、全員とは言わないまでも見込みのありそうな人だけ、うんちく談義ではなく価値基準としての教養を啓蒙するための方法を論じ、思考やアイデアの固まりを比喩化させたものとしてのミームのようにこうした啓蒙がどんどん複製して世に伝播していくことを画す。
超野心的ではないかと思ったのだ。だから、私もそれに乗じて、がつがつ教養というメシを食べてやろうと。いつも霞を食べていても仕方がないし。
しかし、本文では情報処理が意志決定迅速化・効率化に寄与していないという指摘や選挙権売買の提案など、独創的で奥深い論考で彩られているにも関わらず、それぞれのテーマをつなぐもの、つまり、著者がプロローグで意気軒昂に叫んでいた教養をつなぐ試みが実践されていない。既存の論考の収録の寄せ集め。なるほど、その一つ一つは卓越した論であるが、だったら、プロローグの宣言どおり、啓蒙活動を具体化させてみたらどうなのよというのが私の感想。
啓蒙とは明示的に教えられるものではないかもしれない。しかし、著者は明示的に啓蒙のための方法と実践をプロローグに書いているわけだから、これらを紡ぐ作業をすべきだった。
文庫版あとがきで、著者は文章の価値が落ちていないと言う。なるほど、個々の文章の価値は落ちていないとは思うが、教養を啓蒙すると宣言した以上は、自らの幅広い知見を統合化する手段を実践し、私のようなバカにも説明して欲しかった。
よって、知性の世界の広さは認識できたが、教養が統合化されていない私はいまでも空腹のままなのである。
自分のバカさ加減に慌てました
★★★★☆
自分の無教養ぶりがよくわかる本でした。
でも、なぜか山形さんの書いている内容はよくわかりました。
そして面白くて仕方なく、通勤途中に一気読みしました。
バカがバカといわれているのにムカつかない。
バカなのになぜか著者についていける。
その二点でこの本は類を持たないでしょう。
ちなみに、山形さんは、読者向けにバカランクまで教えてくれます。
ターゲットはまあそこそこの学校は出たけれどバカなままの人たちで、
要は今の日本にうじゃうじゃいる私のようなバカのことでした。
素敵な本です。ほんとに。