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ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

価格: ¥580
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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記号論理学の教科書を一冊読んでから ★★★★☆
マルクス、フロイト、アインシュタイン。
それぞれの学問領域で近代から現代への転換を主導したドイツ語著作の最後を飾るのが、数学と記号論理学におけるゲーデルの「不完全性定理」論文です。

記号論理学は、命題を記号で表す論理式の性質を記号の意味と形式の両面から研究します。
論理式の記号に意味を関連づけて真または偽と評価することを解釈といいます。
形式的な文字列操作を繰り返して公理から目的の論理式を得ることを証明といいます。

当時の数学界では数学全体の論理式への書き換えが企画され、その妥当性の裏付けとして、
  真である論理式だけが必ず証明可能
であることを示す必要がありました。
そのためには、すべての論理式 P について
  P と not P の一方だけが必ず証明可能
であること、言い換えると、
(a) P と not P の少なくとも一方が証明可能
かつ
(b) P と not P の少なくとも一方が証明不可能
であることが必要です。
しかしゲーデルは、数学を表現する論理式集合が(a)と(b)を同時には満たせないことを、仮定(b)のもとで(a)への反例を示して証明したのでした。

彼は、数の層、数を記述する数学の層、数学を記述する超数学の層の三階層を縫い合わせるようにその反例を構成しました。
まず、数学命題(例「数 a は数 b の約数である」)や証明を数に変換し、超数学命題(例「命題列 P1, ..., Pn は命題 Q の証明である」)を数学命題に変換する方法を示します。
この方法を用い、超数学命題「命題 Y は証明できない」を数学命題「数 y が指す命題に対する証明を指す数は存在しない」に変換し、さらに数 q に変換します。
そして q を y に代入すると「この命題は証明できない」を意味する自己言及的な数学の命題 P を得ます。
最後に P と not P がともに証明不可能であることを仮定(b)を用いて示したのです。

記号論理学の基本的な知識があれば本文48頁を一歩一歩たどって読み通せます。
訳者HP掲載の正誤表は要チェックです。
不完全性定理の不完全な解説書はゴミ箱へ ★★★★☆
ゲーデルの原論文に加え、専門研究者である林晋による目の覚めるような詳細な解説がついて、しかも文庫で真打登場。
不完全性定理はおおくのひとが理解しているようなものではない。とくに「不完全性」の意味について。つまるところ、当時の数学史的状況を把握していないと、この定理の意味も意義もまったく理解できない。そのような前提のもと、解説のほとんどは、数学の形式化を挙行しようとしたヒルベルトを再評価しつつ、当時の数学認識論的布置を再構築することに費やしている。それによって見えてくることは、不完全性定理が形式化を破壊したという側面よりも、むしろあるレベルにおいて形式化を完成したという面である。この定理の出現によって、明らかに(特に集合論の分野での)公理化の流れは加速した。
人文系によく見られる不完全性定理の利用の仕方は、数学のような最も厳密で確実と思われた学問すら「不完全」なのだから、ましてや他の学問云々・・というものだろう。こうした風潮を見越してか、林は次のように述べている。

「不完全性定理をめぐる歴史解説の最後に、比較的最近の数学基礎論的展開について触れておきたい。最近の展開を知っておくことは、いわゆるポストモダン系の議論に多い、ゲーデルの定理を「根拠」とする素朴な相対主義的・限界論的結論の解毒剤としても有効である。」p.265

以下、ゲーデル以降の数理論理学の分野における発展に触れ、ヒルベルトの企図した数学の形式化についてだけであっても、部分的には成功していることを明らかにしている。そして、そもそも不完全性定理の出現は、大部分の数学者にとっては「辺境」的な出来事に過ぎない。

「実は、多くの場合、数学のある部分が不完全性定理的な現象に感染していることが判ると「それは真の数学でない」とされて、「数学の本体」から切り離されてしまう。そういう摘出手術を痛痒に感じないほど、数学は豊かなのである。(・・・)
不完全性定理を真剣に受け止める数学者は極めて少ない。多くの数学者は、それを単なる周辺的な定理と理解している。(・・・)
数学基礎論に残された大きな問題は、数学の不完全性を声高に叫ぶことではなく、「ゲーデルの不完全性定理にもかかわらず、なぜ現実の数学はこうも完全なのか」という逆説的な経験的事実への問いかけであるように思えてならない。」pp.274-275

ポストモダン感染者なら、こうした見解を哲学的問題に対する鈍感と決めつけるのではないかと思う。しかし逆に、ある見解を一つの単なる解釈(そうでないものなどあろうか?)にしか過ぎないと見なして切り捨てる、そうした態度こそがポストモダンの不毛を生み出しているのではないだろうか。
理解の一歩 ★★★★★
不完全性定理を完全に理解できれば、怖い物はないかもしれません。

論理的に証明できないことを、平気で科学的とか、論理的とか言ったり、
「正しい」とか「正しくない」とか断定する人たちが読んで欲しい。

ゲーテルの不完全性定理を再証明できるだけの力はないが、
なんとか理解できるように、何度も読み直している。
10年以上かけた解説を読むだけでも買う価値あり! ★★★★★
ゲーデルの論文は論外として、本書の殆どのページを占める解説を
読みこなすには、少なくとも大学教養課程で数学史か論理学を勉強
してないときついと思う。これは解説で論理式が多様されているか
らということではない(むしろ殆ど使われていない)。
一般的な言葉だけでヒルベルトやPMの業績の具体的なイメージを
理解するのはなかなか困難だからだ。
たとえると、曲を聞いたり楽譜を読まずして、バッハの対位法の音
楽史的意義を説明するのになんとなく似ている。
にもかかわらず・・・
書き始めた時期に丁度ゲーデルの資料などが発掘されはじめてた
ことも手伝い、結局そのままゲーデルに至る数学史研究に突入。
10年あまりの研究の成果が結実した異例の「解説」だ。
それだけでも読む価値がある。
ゲーデルの仕事の意義を理解するため、前史としてのヒルベルト
計画の解説に終始するも、かなり駆け足の感は否めない。用語説
明も「初心者に懇切丁寧」というモードではないので、ある程度
予備知識がないとなかなか「なるほど感」は味わえないと思う。
不完全性定理の本来の文脈での意味を正確に理解するのはあきら
めて、「ゲーデル・エッシャー・バッハ」などでアナロジーを楽
しむのがいいところかな、と個人的には思いました。
本当は良く判らないが、わかった気にさせる。 ★★★★★
 本書によれば「相対性理論」を理解するには、高等学校までの数学や物理を習えばなんとかなる。しかし、この「不完全性定理」は無理であると言う。
 それは、「数理論」や「集合論」という、ほとんど大学でさえも教えられる機会がほとんどない数学に精通しなければならないという問題だけではない。
 それにもまして、この原理に対する問題意識は、ある種の精神的な成熟を必要としているらしいからである。
 それは数学的な天才と呼ばれた者でさえも、何故このようなことを考えるのか。という意図自体が理解できないからであるという。
 何故このようなことを考えるのか。
 それは「西洋文明が持つ過剰なまでの哲学的傾向」のせいだという。
 本書はそうした西洋文明がもつ問題意識に切り込んで、「何故そういうことを考えるのか」という目的や、それを研究する「意義」とは何か。それをヒルベルトの数学基礎論研究の動機に沿った形で、従来の数学基礎論史への視点に大きく変更を迫るものとして、解説している。もちろん、「不完全性定理」の翻訳も入っている。
 正直申し上げて素人なので、お手上げのはずなのだが、ヒルベルトの目的、ヒルベルトの夢はなんとなく本書から素人でもわかる。ゲーデルが歴史の最後の方で登場して来た事がわかり、ラッセルやヒルベルトの大きさが際立っている。また「認識論的問題」という言葉が何度も出てくるように、人間には許されている推論という認識の「有限」の立場がある(しかない)という哲学的問題が横たわっておりながら、数学には「無限」が必然的に登場していることが、この証明を難しく、数学の基礎づけを不完全であるものとしているのだろう。(もっとも、私がこうした理解をするのも、「フォン・ヴリグトの『論理分析哲学』講談社学術文庫」を読んでいて「代数函数」や、「対応関係」に関わる推論技術の妥当性は「論理からは求められない」ということに関心があったからかもしれない。)
 ここから突き詰めると、結局数学は何かをはかる「ものさし」であって、さらには「構成」や「対応」というものに基礎があるものであり、結局数学によって立つ「人口知能」のような問題においては、人間と同じように思考する不確定な心をもつロボットはあり得ないのではないか。ロボット内部の回路のみでは、人の思考は完成しえないのではないかと思えてくるし、ではなぜ、人間は推論可能なのかが疑問となる。もちろん、そうした論調の書物もあるはずだろう。脳内のシナプスにおける電子の不確定性原理が不完全性定理を乗り越えて、人を心を持つものたらしためているのかもしれない。それは別書にあたることにしたい。