小池真理子や山本文緒が「恋の情念」を描くのだとしたら、馳は「欲望の情念」を描いている。どちらが上等でどちらが下等だという議論は不毛である。感情が揺れ動き、制御できなくなり、奈落に落ちていく心の状態を余すことなく描く。確かに描かれている事は少し「特殊な事例」ではある。しかし一方ではどこか「思い当たる」所もある物語。それが小説を読むときの醍醐味であろう。
まずね、エロスを題材にしながら、肉体的な描写があまりないのが、どうにもいただけない。この作品集に登場する人々は、頭でファックしているのだ。欲望を説明し、正当化しすぎるのだ。
読んでいて、「人間の情欲って、こんな直線的で分かりやすいもんじゃないよ」とかつっこみたくなってしまう。特に「人形」と表題作の「M」は、おお、基本的というかお約束の古き良き的な肉親へのコンプレックスがかなり直接的に登場人物たちの行動原理を規定しているので、容易に先の展開が読めてしまう。
こういう「わかりやすさ」っていうのは(=単純化)にもつながり易くて、エンタメ小説としてはヤヴァイんじゃないでしょうか?
でも、やっぱり長い話をたくさん書いてほしいなあ。