「今、勉強している」という時の「今」とは幅を持っている。例えば、家に帰ってきてからの一時間と言う幅を持つこともある。同様に、「今まで寝ていた」と言う時の今の幅は数時間に及ぶ。つまり、「今」とは、その日常的な使用法から考察する限り、決して物理学上の一点に対応するものではなく、私達の日常生活における意味的な区分にその根源を持つのだ。では、「今」とは瞬間ではないではないか、その通りである。もし貴方がこの結論に釈然としないならば(納得できない方がもちろん重要である)、すでに貴方は「時間」という哲学上もっとも難解な問題の一つに踏み込んだことになる。貴方は、中島義道の挑戦にどう答えるだろうか。