翻訳が。。。。
★★★☆☆
日本語訳がこなれておらず、非常に読みづらい。正直、読むのが苦痛になる。
英語がそこそこできる人は原書を読んだほうがいいかと思います。
訳がもっと良ければ・・・・・・
★★★☆☆
訳のせいなんか、原文がそうなのかはよく分からないのですが、やや読みづらいです。文体になれるまでかなり時間がかかります。
おそらく、訳者が未熟なためと思われます。
訳を作り直してほしい。
ニュースなどですでに知っている事実を網羅しているだけで、とりたてて、おお!という内容がありませんでした。
クラプトン
★★★★☆
エリック・クラプトンは言わずもがな人物である。この書では自ら人生を振り返り、出生から現在に至るまでを包み隠さずに書いている。それこそ生まれて、母親が蒸発し、数年後に戻ってはきたが、新しい家族を作っておりmamaと呼べなかった事や、幾多の依存症からの脱却を自身のライフワーク(音楽)を基幹に綴っている本である。
私自身としての感想としては、本書をよんでいると彼がいつまでも孤高でいられる理由が少しわかったような気がした。本書の中で自身の仕事観などについても書かれているのだが、妥協のできない性格であり、より高みにいこうとするモチベーションをもっているのではないかと思う。
それは、素晴らしい仲間とのバンド活動や交友・恋愛・趣味・そして大事な家族を通じて維持してきたものであり、それに加え音楽への純粋さが加わり孤高でいられるのではないかと思う。
この本はクラプトンの自伝であり、自身の成長物語といった青春小説としても読める。また大げさではあるかもしれないが、よりよいlifeを生きようと模索してきた自己啓発的な本としても読める1冊である。
貴重な資料
★★★★☆
エリッククラプトン自身による自叙伝。複雑な家庭環境(父親不明、祖父祖母に育てられた)から始まり、かなり詳細に赤裸々に綴っている。ヤードバーズ、クリーム、ブラインドフェイス、ドミノス、プラスチックオノバンドなどを渡り歩き、様々な伝説に立ち会ってきたブルースギターの神様だが、実に謙虚でコンプレックスの強い人間だということが分かる。多くのミュージシャンを尊敬しおごり高ぶらない。一方で常によりかかる女性を求めて遍歴をくりかえす様、ジョージハリスンのパテイを長年愛していた事情もよく描写されている。ドラッグと酒におぼれる様も当時のロックスターにありがちだが作品に悩んでというよりも人生、自分のルーツに悩んで手を出していたのだろう。ロックの王道を歩みながらも一人の人間としての苦悩が綴られ(ライターの手によるとは思われるものの)感慨深い内容となっている。
「神」「愛」「音楽」、この人が今でも生きていて家族との幸せを享受していられると同時に、優れた作品を産み出し続けていること自体が一つの「希望」だと思う。こういう人生もあるんだ、という。
★★★★★
自分は実はそれほどミュージシャンとしてのクラプトンが好きな訳ではない。そもそも70年代的なブルース・ロック自体があまり好きではない。普段ニューウェーブ系のエレポップばかり聴いてる人間なのだから。それでも一応『オーシャン・ブールバード』だけは素直にいいと思って一時毎日のように聴き込んでいたが、それ以外の彼の作品に対しては正直「趣味が合わない」ものとして退けていた。
なのに、この本は一気に読んでしまった。以前からロック雑誌などにこの人のインタビューやこの本の抜粋などが載っているのを見る度に、食い入るように読みふけってしまった経験があったからこそだが。で、おそらく自分はこれからも何度かこの本を読み返すと思う。少なくともこの本を読んで、それまで特に何とも思わなかった「レイラ」や「ワンダフル・トゥナイト」などの楽曲を聴いた時の受け止め方が全然違ってきた。それまでもジョージ・ハリスンの嫁さんを横取りしようとして云々、というエピソードは知ってはいたのだが。
いやはや実際に彼女をモノにして夫婦になった後もアルコール依存や女遊びが止まらず破局を迎え、その後様々な紆余曲折を経て、約二十年間の断酒継続と二十歳以上年下の新しい奥さんとの間に三人の子供を設けて、「家族と過ごす時間こそが自分の幸せ」という境地に到達しながらも、「音楽こそが自分を救ってくれた神」と正直な気持ちを吐露する。正に「業が深い」としかいいようがないのだが、その業の深さにどう対処したかというケーススタディとして、実際に何度も地獄を見ながら希望を失わずにそこから這い上がって幸せを手に入れたという「サバイバー」の体験談として、また普通なら人の精神を死に向かわせる程の苦しい状況において「音楽」がどのように「救い」となりうるのか、また破綻してしまった人生や傷ついた魂が「神」や「愛」との出会いによっていかに輝きを取り戻すのかといった問いかけに対する一つの回答として、自分が人生のこのタイミングでこの本と出会えたことの意義はとてつもなく大きい。
カート・コバーンやビリー・マッケンジー、イアン・カーティスのような生き方が間違っていると言うつもりはない。実際に私は彼らのような典型的な破滅型のアーティストの音楽に強くアイデンティファイしてしまうような人間だ。でも、このクラプトンのような生き方もあるのである。とりあえず『ピルグリム』や『レプタイル』といった比較的最近の、彼が新しい生き方を発見して以降のアルバムを聴きながらもう一度この本を読み返してみようと思う。