本書は“人生に宗教は必要であるか?”を問うている。
★★★★☆
人間は科学技術文明によってかえって堕落したので、もう一度宗教を見直すべきだという反省が起こっている。では人生に宗教は必要なのだろうか?
確かに、日本は明治維新以来、西洋から科学技術文明を採用して近代国家になった。戦前は富国強兵、戦後は強兵抜きの富国で、豊かな国を作り上げたのである。つまり近代日本には、宗教は不要であった。しかしこれにより、かえって人間は堕落したのではないか。最近、人間は地球に住みづらくなっている。なぜならこの文明は「人間は理性を持っているから偉い。」という人間中心主義だからである。この文明が、原爆を作り環境破壊を生み出したからである。ここで人間中心主義を改め、宗教を見直す必要があるのではないか。
宗教は神仏を信じることである。そしてこれは神仏(=見えない力)によって生かされているという奇跡的で絶対的な出来事なのである。たとえば心臓が止まらずに動いていることを証明できるだろうか。人が人を愛すると事を説明できるだろうか。これは見えない力によって生かされている証なのである。仏教の中には、人間が自然を支配のではなく、人間と生きとし生けるものの共存と言う考えがある。人間が生きているのは、人の力でなく、“仏のはからい”なのである。そして人間以外の生きるものの中にも、仏が宿っていると考えている。
結局、私は人生に宗教は必要であると考える。そしてそれは人間中心ではなく、すべての生き物と共存する思想にもとづいた宗教である。
宗教の良いところや違いなどを知るために
★★★★★
「武士道エイティーン」(誉田 哲也)の中で紹介されていた本書を読んでみました。京都の東寺境内にある洛南中学校での授業内容を本にまとめたものです。「仏教」というとなにやら堅苦しそうですが、中学生向けなのでたいへん読みやすく、わかりやすいもので、キリスト教などヨーロッパの宗教との対比など勉強になりました。
「宗教がないところには文明も道徳も存在しない」というのが著者の持論で、現在の日本の教育には道徳が欠けているという危機感をもっているわけです。中学生、高校生には一度は読んでほしい1冊です。
こういう授業を普通の学校に取り入れてもらいたい
★★★★☆
仏教の授業というより仏教を受け入れた歴史、思想的な問題を中心とした授業で役にたつこと請け合いです。仏教そのものより時代により仏教が違っていること等が分かりやすく説明されていた。日本の国柄と仏教との関連等がよくわかるように書かれている。学校で是非導入してもらいたい授業である。
ただ聖徳太子のところで福沢諭吉の脱亜入欧理論がアジア侵略理論になっていると述べられている点が気になった。福沢の書いたのは脱亜論であって、脱亜入欧論ではない。入欧という言葉は戦後の捏造で付加された。子供達に誤った考えを植えつけるのは心配であるがこの瑕疵はそれほど大きなものではない。
仏教に関する記述は大雑把、道徳論は単純
★☆☆☆☆
『地獄の思想』を読んで感銘を受けた身には、さびしい本でした。
仏教に関する説明、日本史に関する説明は大雑把です。読むところがありません。中学生向けにしてももうちょっとナントカならんかったのか、と思います。
道徳論は・・・単純ですね。おじいちゃんが孫にお説教をしてるレベルです。特に、近・現代史について引き合いに出して語る箇所については、日本についてむやみに否定的過ぎると思いました。福沢諭吉の脱亜論批判とか南京大虐殺とか、そんなに簡単に断罪してはダメだろう、という感じです。
とても残念です。
日本での大乗仏教思想の概観を知るには手頃な講義録
★★★★☆
中学生を対象に著者念願の「仏教」についての授業を行った講義録なんですが、これだけの内容を中学生が本当に理解できたのだろうか、という疑問がちょっと湧いてきました。授業はもう少しかみ砕いた表現で行われたのかなという気もします。生の授業を一緒に受講したかったなという思いです。
「カラマーゾフの兄弟」から授業が始まり、世界の文明には宗教が根底に存在すること、宗教と道徳の関係、西欧の聖者の生き方と釈迦の生き方の思想的違い、大乗仏教の日本への導入とその興隆史・宗派の基本思想などに、著者自身の思想遍歴もまじえ、空間軸と時間軸の広がりの中で仏教を概観できる組み立てになっています。宗教の必要性と仏教思想を理解する入門書として読みやすいものでした。
人生に宗教は必要かというテーマでの中学生の討論には、なるほどと思わせる諸意見が出ていてなかなかおもしろかったです。