ブリューゲルはイタリアに赴き、古代芸術やイタリア・ルネサンスを吸収したにもかかわらず、故郷へ戻った後にイタリア体験をうかがわせるような作品を残していません。
その点について著者次のように論を進めます。
ブリューゲルが残した風景画や農民風俗画は、16世紀のフランドル地方のアイデンティティ的絵画ジャンルであり、イタリアからもたらされたより知的な絵画ジャンルと接することによって、そのイタリアの影響が強くなればなるほどフランドル独自の価値を再構築していこうという気概が生まれていった。であるからこそ、ブリューゲルはネーデルラント礼賛的な作品を、あのロマニズム(イタリアの影響が強い芸術潮流)の中で次々と生み出していったというのです。
特に興味深く読んだのは、ブリューゲルは16世紀のフランドル画壇の中心的存在とは当時見られていなかったという著者の考えです。ブリューゲルが16世紀フランドルの代表的画家とみなされるようになったのは20世紀の美術史研究のおかげとのこと。
「20世紀の末期から21世紀に生きているわれわれは(中略)高貴なものや優美なものばかりが絵画の対象になるのではなく、時に卑俗なもの、さらには醜いものでさえも絵画は描き出すということを認めている」(33頁)。だからこそブリューゲルの同時代人と今の我々との間にはおのずとブリューゲルの評価に差が生まれるというのです。なるほど、私たちは生きている今の時代的尺度に縛られながら過去を解釈・判断せざるをえない存在なのですね。
著者によれば18世紀の美の規範はブリューゲルを歴史の表舞台から一時消し去るようなものだったとか。
残念なのは、本書は美術史の専門家としての文体で綴られているため、決して一般の読者が抵抗なく読めるような筆遣いではない点です。