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科学の現在を問う (講談社現代新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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理系とはいったい何なのか ★★★★★
ほんの100年前まで「科学」は
「社会にとって何の役にも立たないもの」であって、
物好きな金持ちがスポンサーになっていた。
社会の役に立つ「技術」とはまってく別のものであったということを、
工学部出身であるのに本書で初めて知った次第である。
確かにエジソンは大学の工学部を出たわけではない。

本書にもあるように、日本の「理系」は他の国に比べ
工学部が理学部に対し偏重されており、それは
明治以来の殖産興業政策によるものである。
このため日本では「科学」が最初から存在しなかった。
大学の工学部における違和感はそれが原因であろう。

しかし外国に追いつけ追い越せの80年代までと異なり、
現在の日本ではそれほど多くの工学部出身者(いわゆる理系)は
必要とされていない。このため工学部出身者の多くが
営業などに回される人事が日常化している。
日本の理系教育は脱工業化社会にまるで対応できていないといえる。

「理系離れ」対策というのは、単に理科への興味を
起させればいいわけではなく、「何の役にも立たない」理学を専攻することを、
社会として容認しなければならない、ということを本書は教えてくれる。
同時に日本では永久に無理だろう、という絶望もあるのだが。
科学を自覚せよ ★★★★☆
著者は科学史の専門家で、科学を、そのバックグラウンドとなる社会という存在から研究してきた。1990年代から現代社会における科学について論じることが増え、ちょっと残念なところもあるが、大切な仕事であり、本書も非常に啓蒙的な一冊となっている。
 眼目としては、科学者は自分の仕事について自覚的でなければならないということにある。自分の研究の社会的な位置づけを確認し、暴走を自制すべきだとされる。それと同時に、社会の側でも科学をよく理解し、過剰な期待や反発を控え、また科学の発展について規制と推進をしていく必要がある。
 そういうことが、アメリカの冷戦期、1999年の東海村の原子力事故、クローン技術などをテーマに解説されていく。分かりやすく、良識的で、良くできた本と言えるだろう。
 残念なのは、肝心の科学者たちが、得てしてこうした本を読まない点である。「文系」の人たちがいくら頑張っても黙殺されることが多いのだ。どうしたものか。
科学や技術と社会の関係についての軽めのエッセイ ★★★☆☆
科学論の著書や翻訳で有名な村上氏によるエッセイ。遡上に上っているのは大学教員の教養不足、抜けた安全意識、遺伝子工学まわりの倫理、権力と情報化社会、工学の位置づけ、科学者のダブルスタンダードなど。これらの題材について、「報道されてるほど単純じゃないよ」「歴史的にはこうなんだよ」「こういう視点もあるよ」という形の説明が行われている。基本的に科学や工学や医学の位置づけというものに無頓着だった人向けの内容であるため、新聞記事やテレビの特集の内容を自ら掘り下げて勉強するような人や理系の大学院のうち教養を重視している所を出た人ならば、ぬるく感じるでしょう。勉強することを義務としてとらえる視点として民主主義を挙げていないし、ダメな現場(JCOに限らない)の生々しさは伝わってこないし。

新書やエッセイという枠を出ていないながら、立花隆の本や重箱の隅屋さんの本よりは遥かにお薦めです。考えるきっかけや問題意識を育むきっかけとしては、軽く読める良い本だと思います。これを読んで「もっと勉強しなきゃ」と思えたら読んだ意義は十分にあったと言えるでしょう。
著者と直接対話してみたくなる一冊 ★★★☆☆
著者は、1999年に東海村の核燃料製造会社JCOで起きた臨界事故の原因について少し変わった解釈をしている。この事故は日本のクラフトマン魂(技術者魂)の終焉を示すようなものではなく、むしろ日本人が得意とする品質管理(QC)という現場主義の結果によるものだという。こういった事故は原子力利用の初期の時代にはしばしば生じていたという説明もある。すると日本的な品質管理(功利的な作業を含めた)を徹底的に進めていけばもとの初期状態(バケツとスプーン使用)にもどったということか。企業による基礎的な知識の教育の欠如がこの事故の一番の原因であるかのような結論を導いているが、どうもこの解釈には納得できないものがある。一体どのようにして現場で働く人(管理する人)を採用しているのか不思議である。教育以前の問題ではないのか?
 人クローン個体作製に対して、著者はそれほど否定的な見解を示さない(肯定的でもないが)。最近の哲学者にはこういったトーンの主張が多すぎる。著者は科学史が専門であるが、この領域の人(自然科学を含め)遺伝子の多様性性という生命の生き残りにのみ生物学的価値観を置いているのが気になる点である。「人間の尊厳」を人格の唯一性のみに基づけてよいのかという疑問。ES細胞の研究(胚を壊すことによる研究)に対する見解もないのも気になる。著者と直接対話してみたくなる一冊である。
現代ではもはや不可避な科学 ★★★☆☆
科学の知識がほとんどなくても高校生レベルの知識があれば十分読める手ごろな本である。(実際投稿者は高校生である。)

1999年を筆者は日本の技術にとって一つの節目となる年と考えている。その年に起こった三つの事件の一つにJOCの臨界事故をあげている。この事故により世界から日本のクラフトマンシップの終焉と非難された。しかし筆者はこれに異を唱え、非常に面白い論を展開する。

クローンの作り方、ES細胞の作り方似ついて書かれた箇所があるが、それらについて知っているつもりでいたのにそれは勘違いであったということが読んでいて恥ずかしくなった。その作り方はなんとも恐ろしいもので、科学者の倫理性が問われるべきものであり、筆者も述べているように日本として、また世界的に科学の倫理というものを考え直すべきだと思う。そして科学者の「象牙の塔」化は避けられるべきであり、また我々も科学に無頓着ではダメであるという事を痛感した。