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朝鮮通信使―江戸日本の誠信外交 (岩波新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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読む意味ないような ★☆☆☆☆
いわゆる捏造された歴史を書いている本ですよね。読む価値ないです。
真実を知りたいのなら、当時朝鮮人が書かれた、金仁謙「日東荘遊歌」を読んだほうがいいと思います。
また、イザベラ・バードの朝鮮紀行は手に入りやすいのでおすすめです。

江戸の人たちは、通信使が朝貢使節であり、オランダ商館長よりも格下だったことを知っていました。
通信使たちは徳川250年の歴史の中でたった12回程度しか来日していない。単純計算で20年に一度の来訪で文化の交流も何もないだろう。
朝鮮通信使の数百人の行列は、風呂の入る習慣がないため悪臭が漂い、彼らの素行の悪さはすこぶる評判が悪かった。
彼らが鶏を強奪して大騒ぎになっている当時の絵もある。それを止めようと日本人たちが返り討ちにあったり、もう大騒ぎ。
朝鮮の貴族(両班)は、朝鮮にて勝手に盗ることは普通のことであるからなぜ咎められるか理解できないのです。

当時の朝鮮は、非常に原始的であり、文化らしい文化もなく中国文化のコピーの劣化版にすぎない。
呪術医療はあったが、まともな医療なんてない、女性に対してなんて、手を触れてはいけないことを理由に手首に紐を巻いて隣の部屋から診断するなど当たり前。
小便で顔を洗い、病気なると小便を飲み、病気が酷くなると大便を食べ、小便壷に痰を吐く。これが朝鮮の医学だった。

「日東荘遊歌」金仁謙は、1764年大阪を訪れてその文明を見てあまりに凄さに、悔しさと恨めしさでどうしようもないという感想を残しています。北京にいった通信使も大阪にはかなわないと言っています。

そもそも、陶芸や鉄の加工技術など日本に教えてやったみたいなこと言ってますが、後の歴史や現代の日本を見てみても、日本に追いついていないのが何よりの証拠です。
今の朝鮮・韓国に日本より優れた技術を持った人がはたしていますか?? それが答えです。
当時の朝鮮では、皇帝や貴族などの盗る側と盗られる側、技術者なんて最下層で虐げられてきました。それが原因で技術は発展しなかった。建築に関しても、未だに技術が低く崩壊してしまうものが多いのも頷けますよね。藁の屋根と馬糞で固めた壁が主流で二階建て以上の建物がないに等しい当時のソウル。李氏朝鮮になってからは、進化というより退化している。
最近は、捏造された歴史を暴く書籍が沢山出てきていますし、歴史的証拠もどんどん出てきています。
間違った歴史認識をしないように購入する本も慎重に選びましょうね。
朝鮮通信使 ★★★★☆
本書は、江戸時代200年の間、12回にわたって繰り返された朝鮮通信使の歴史を、最新の研究成果を基に紹介したものである。

江戸時代を「鎖国」と見ることは間違っているとされ、江戸幕府の対外関係が積極的に再評価されつつある今日だが、本書もまた朝鮮通信使という切り口を通じて日本の対外観や対外文化交流の諸相を提示してくれる。日朝相互に相手に対する蔑視がある一方で、それでも紆余曲折を経て継続された通信使を介した交流は相互理解や知的交流を生み、結果として200年の友好関係の礎を築く。通信使来訪というビッグイベントに臨む幕府レベルや各藩のレベルでの準備・接待の一面や、家役として実務を一手に引き受ける対馬藩の苦心、通信使との出会いがもたらした各地域での文化的受容など、興味深い事実が満載で面白く読めた。また、終章では明治以後の日朝関係が「征韓論」という形で歪んでいく原因について一つの視点を提示してくれる。
「誠信」で貫かれた江戸時代の日韓関係 ★★★★★
 「徳川幕府は鎖国政策をとり、海外との窓口は唯一長崎出島のオランダ商館だけだった」と教科書で教わった世代にとって、朝鮮通信使の歴史をコンパクトに纏めた本書で、李朝朝鮮と徳川日本との間に幅広い通交と通商があったことを知り、新鮮な驚きと知的興奮を覚えた。
 朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の戦後処理から始まる。朝鮮半島から連行された3万人(一説には5万人)の捕虜送還問題と徳川新政権との国交回復が当初のイシューであった。後には将軍の代替わりごとの祝賀使節となるが、約200年間に12回、400人から500人の使節団がソウルから江戸まで豪華に行列したことは、善隣友好外交の象徴だった。筆者によると通信使の意義は「互いの信義を確かめ合うこと(誠信)」であったと説かれる。
 使節団員には、一流の学者・画家・詩人・医者も加わっており、江戸や道中の宿舎には日本の文化人が押しかけ、学者は筆談で議論し、芸術家は画や詩の作品を交換し、医者は最新情報の交流をした。各地に残る通信使の書いた書画や扁額、また今も続く祭礼行列の「唐人踊り」や民具の類からは、民間レベルで豊かな文化交流があったと伺い知れる。
 面白かったのは、対馬藩についてである。当初は朝鮮、日本の外交交渉の仲介に苦心し国書の改ざんもするが、盛時には銀や銅の輸出と生糸や縮緬の輸入の貿易を独占し藩の財政を潤す(石高2万石ながら10万石格と称せられる)。また、釜山に設けた和館には常時500人から700人の藩士や商人が滞在し、釜山は当時最大の海外日本人居留地だった。
 江戸時代にあった隣国との対等な誠信外交が、明治新政権の「征韓論争」以降長い間歴史から抹殺されてきたこと、また現在の竹島問題や昨今の韓流ブームを考えるとき、朝鮮通信使が問いかけるものは大きい。
「誠信の交わり」の歴史を学ぶ ★★★★★
朝鮮半島と日本の関係は、朝鮮通信使のことを抜きにしては考えられないでしょう。この本は、それを考えるための格好の啓蒙書です。入門書というには、厳密を期した文体や言葉遣いに難しさを覚えるとはいえ、基本的な知識を与えてくれます。東アジア全体の関係を考えるのにも有効な視点を与えてくれます。

全7章の内、4つの章で、江戸時代の朝鮮通信使の歴史、具体的姿・行動、日本側の対応などについて時を追って解いています。第5章で、文化交流の諸相を紹介します。序章と終章では、歴史的、今日的な朝鮮通信使の意義を考えます。

この本は内容豊富で、読み手の視点如何で、いろいろな断面から、朝鮮通信使を眺めることが可能です。たとえば、秀吉による文禄、慶長の両役(と、明治の征韓論以降の日本による朝鮮半島侵略・・・本書の直接対象外)以外はもっぱら友好の歴史が維持されていたことが分かります。また、各地に残る民俗芸能に、朝鮮通信使の置きみやげの跡が見て取れます。朝鮮蔑視の歴史は・・・等々

この書をつらぬく最大のキーワードは、「誠信の交わり」でしょう。この言葉は「実意と申す事にて、互いに欺かず、争わず、真実を以て交わり候を、誠信とは申し候」とのこと。「誠信」は書名の副題にも現れます。
本書ではいったい何を伝えたかったのか ★★☆☆☆
朝鮮通信史とは簡単に言えば李氏朝鮮から日本へと派遣された国使のことである。そもそもの趣旨は、室町将軍からの使者と国書に対する返礼であり、1375年に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりだと言われている。それから約350年間にわたって通信史が派遣された。ただし豊臣秀吉の時代の文禄・慶長の役の間は断絶されていたことを但し書きとして加える。事実その間は挑戦とは少なからず交流があったと言うことは確証付けられる。江戸時代からは将軍即位の度に祝賀にいったと言う記録がある。それと同時に文化交流もあったと言うくだりもあった。
しかし、そういうのがあったからと言って何を本当に語りたいのかが見えてこなかった。朝鮮通信史を通じてもっと韓国との交流をすべきとか韓国批判なのかあとがきで述べられていたがそれでは足りないと私は思う。