食べ物に導かれながら
★★★★★
阿川さんのエッセー集である。私は巻末の「食堂車の思い出」が気に入っている。徒然に食堂車の思い出から当時の出来事が蘇る。
例えば広島での旧制中学時代に、信州アルプスを縦走して帰る途上、登山で薄汚れた学生服のまま食堂車に入り怪訝な顔をされ傷ついたこと。帝大生時代の幾度かの帰省で顔見知りなった女性給仕と学徒出陣の列車で再会し交わした言葉。満鉄「あじあ号」で出会った白系ロシア人給仕の美しさ。海軍から復員した敗戦後の数年間、ほぼ全ての食堂車付き列車が進駐軍専用になっていたこと。なぜか食堂車で朝に出された蜆汁が忘れがたいこと。
とかいいながら、まったくシリアスなエッセーじゃない。文庫版あとがきでの父と娘の対談は次のような形で終わってます。
娘「最近は『親孝行、したいときにまだ親はいる』っていうらしいわよ」。
父「遺言に書いといてやろうか、『娘がキノコの旨いのを食わせるといって殺したという疑いがあっても、どうか罪に問わないでください』ってね(笑い)」。
なぜか第三の新人のエッセーは作風と反対に面白おかしい。
ぶーぶー
★★★★☆
2001年に出た単行本の文庫化。
「風々録」は「ぶーぶーろく」と読む。食べ物についてブーブー我がままを言ってみるということらしい。
内容的には食べ物にまつわるエッセイ。著者お得意のテーマで、楽しく読むことが出来た。取り上げられているのは、チーズ、鰻、サンドイッチ、ツクシ、鮎など。いわゆるグルメというのとは違うが、著者なりのこだわりが滲み出ている文章で味わい深い。
特に印象に残っているのはキャビアの寿司の話。イクラはあるのに、なぜキャビアの寿司はないのかと思って鮨屋に行ってみると、本当にあって、でも食べるのはよしてしまうという展開。いかにも著者らしいし、こだわりがあって良い。
頭が健康になる文章
★★★★★
阿川佐和子さんの父上と紹介されるのがおもしろくないと、最近のインタビューで言っておられましたが、
そういう表現が巧まざるユーモアになっているのが氏の強みかもしれません。
本書の刊行直後に文化勲章を受けられて、本書で初めて氏の文章に接したひとは驚いたと思います。
書名からは想像もつかない軽妙さは、実はもう一つの本質なのですね。
いわゆる「大家」の書く食物談義のたぐいは、だいたいが「美食」になるか、
さもなければ開き直った「B級C級グルメ」なのですが、
本書はどこまでも「自然体」で、頭が健康になる感じです。
文学のヌーベル・バーグといわれた「第三の新人」も次々に世を去って、
ずいぶん世の中は変わりましたが、
あの時の魅力の本質の一端が、今になってようやくわかったような気がします。
小説でもなく、「阿房列車」でもなく、本書こそは氏の代表作と、勝手に思っています。