私の生まれた年に書かれた・・・
★★★☆☆
わが読書ノオトに書き留めしこれらの語句。つまり、真逆、徐に、心算、狼狽る、茲、点頭く、兎角、云云、悉皆、恙無く、蔑ろ、間誤附く、蹲踞む、吩附ける、ころもへんに「親」と書いて、続いて「衣」(探してもなかったので変とツクリを別に記す)、苟くも、偶偶、「秋瓦」(前記同様)、漾う、草臥れる、「くにがまえ」(囗)の中に「巳」を書き続く語は「転」、変梃、幾許、珍紛漢、獅噛み附く・・・これらの古式豊かな熟語を文章中でゆっくりと堪能したい方は、読み給え。
将来、電子書籍でこのような特異な漢字を果たして表現できるやいなや。
因みに、ハンカチは「手巾」です。コダワリついでにタイトルに注文をつけておきます。
小粋な推理連作短編集
★★★★☆
『村のエトランジェ』等の小品で、
何回か芥川賞候補となった作者による
小粋な推理連作短編集。
この作品を発掘した北村薫自身が
その類似性を認めているように
50年以上の前の作品でありながら、
「日常の謎」をやっているのは興味深い。
当然、当時としては渋すぎて
大きな話題にはならなかったのだろう。
推理過程や犯罪そのものについての
掘り下げは決して褒められたものでは無いだろう。
しかし最近のニセモノの「お嬢様の通う女子校」
の安いイメージに比べ、この作品が
あの時代のブルジョア家庭の雰囲気を上品に
極めてうまく伝えている点は高く評価していいだろう。
また表紙絵もマンガチックではなく素晴らしい。
あの明るく希望に満ちた時代
★★★★★
著者については坪内祐三氏の「古くさいぞ私は」の中のミニマリズムの説明で紹介されて初めて知った。この本は昭和32年4月から33年3月まで雑誌「新婦人」に読切連載されたものをまとめたものである。表紙絵は当時のミッションスクールの雰囲気を実に忠実に醸し出していて迷わず購入した。
中身も清新で上品な雰囲気とのんびりした話の展開で、謎解きまではするが犯人の動機や背後関係までは深く追及せず、捕まえることすらせず放免してしまうこともある。反省して改心するだろうという性善説に立った話なのだ。都会の裕福な家庭ではクラシックバレエや刺繍、バラ作りなどが流行った時代であったことを想起して読んでもらうと当時の雰囲気が少し分かるかもしれない。読後感が爽快で後を引かないのもこの作品の特徴である。
小気味よい
★★★★☆
1958年に三笠書房から出た単行本の復刊・文庫化。
著者は早稲田の先生で、芥川賞候補にもなるなど小説家としても活躍した人物。本書はニシ・アヅマという女子高の先生を主人公に据えた短編集。北村薫の『謎のギャラリー』に2篇が収められたことで忘却の淵から拾い上げられ、復刊のはこびとなった。
まあ、トリックとしてはしょうもない。しかし、お話としてのレベルはなかなか。黄金期の英米の短編を読み漁った人が書いたという雰囲気で、古典好きの人にはたまらないだろう。ブラウン神父を思わせる。
諧謔味というかユーモアが効いていて、それでいて物悲しいトーンもある。
収穫だったと思う。
ちょっとひと昔への散歩
★★★★☆
主人公のニシ・アズマ女史は女学院の先生で、昼寝を趣味にするごく普通そうな若い女性である。しかしながらどういうわけか、偶然に事件に巻き込まれたり、その場に居合わせて、何かとその事件を解決する糸口を見つけ出してしまう。誠に都合のいい展開には違いないが、その時代の風俗というか、空気のようなものも伝えながら、ユーモアたっぷりに語られる小話を十分に楽しませてくれるのである。
こういう遊びのような作品は、書いている人も楽しんでいるという感じがする。続編の要望もあったようだが、ニシ・アズマ女子に危ないまねをさせ続けることを躊躇したということになっているようだ。そういういい訳も一種のユーモアなのだろうけれど、こういう世界を大切にしたということもいえるのではないか。小品ながら、楽しみながら力を入れて執筆した。この世界を広げるより、作者としてはいとおしい気持ちのまま封印したかったのかもしれない。そういう作品が、作者の死後、時代を超えて一介の読者を獲得する。めぐり合わせと、本という人間の記録の面白さは奥が深いものだと、あらためて思うのである。