これぞスウェーデン文学!
★★★★★
パール・ラーゲルクヴィストが1951年にノーベル文学賞を受賞した作品で、
聖書に名前のみ登場するバラバを主人公としたキリスト教文学である。
盗賊バラバはユダヤ教の過越祭に従ってイエスの代わりに釈放された。
ところが、バラバはイエスに何かを感じ取り、あいつはいったい何者なのかと考える
ようになった。
そして、あの男は神の子だと言われたときバラバは初め信じなかった。しかし、それでも
バラバはイエスが気になり続けた。
そして、イエスを神の子とするキリスト教徒になろうとすればするほど、イエスから遠ざかり
離れているときは近づいてきた。
バラバは闇、イエスは光りの世界に存在した。しかし、二人は遠くもあり近くもある存在として
書かれている。
はたして、バラバはどのような最後を迎えるのだろうか?
ラーゲルクヴィスト特有の無駄のない、一字一句すべてが重要な文体で書かれている
作品。
おそらく2、3回読んだところで十分に内容を理解することは難しいだろう。
しかし、これほどの文学的作品はそうあるものではない。
少しでも興味のある人は必読してもらいたい。
「どちらを釈放してほしいのか。」-「バラバを!」
★★★★★
イエスを恐れるユダヤ教の祭司長らは、ローマ支配下の自分たちにイエスを裁く権利がないので、彼を総督ピラトに引き渡す。ピラトはイエスを妙な男だなとは感じたが、特に大罪を犯した事実は認められない。ところでエルサレムのユダヤ総督府では、民衆の歓心を得るために、過越祭にユダヤ人の囚人をひとり釈放する慣例を設けていた。ピラトはイエスとバラバという強盗を引き出し、民衆に釈放する囚人を選ばせることにする。祭司長らに煽動された民衆はバラバの釈放を要求する。聖書の伝える事蹟は以上であるが、その後のバラバの記録は伝えられない。本書は北欧の巨匠が取り組んだ「なぜ罪もない男が十字架に掛けられ、極悪人の俺が釈放されたのか」というバラバの自問からはじまる、自己発見の物語である。
祝・本屋復帰!
★★★★★
日本では、あまり聞き慣れないかもしれないが、著者は文学史上に名を残す北欧作家。本作はノーベル文学賞受賞作。内容自体が目指すところは純文の高みの極みだが、文体自体は非常に平易。読み手にとって敷居が低く、密度はかなり高い。イエスのかわりに死刑を免れるバラバ。何も信じず、誰も愛さない彼を、是とも非とも言わず、冷徹に、熱く追っていく。そんな濃厚なテーマを、ここまでとっつき易い文章で見事に描くというのは、やはり作家の中の作家の成せるワザ(訳者の腕前も優れているのだろう)。
心に響く、またとない名著、手軽に買える時期にぜひどうぞ。
ユニークかつドラマティック
★★★★☆
私はChristianではありませんが聖書に興味を持つ者で、この題名を見て購入しました。
バラバは新約聖書には素性と名前しか著されない人物ですが、フィクションながらその後の生涯を綴ったという点で、この書は非常に興味深いです。
自分の中の悲しさ虚しさを強く感じながら、しかしなにか強いものを与えられて読み進めた、そんな書です。
読まなければいけません
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これはノーベル文学賞をもらったラーゲルクヴィストの作品です。ノーベル賞をもらったから良いというのではありません。これは現代人のことを描いたものだからです。バラバというのは極悪人で民衆の要求によってキリストの代わりに釈放された人物です。キリスト教になんの関係もない人も、それの方が正確に読み取れると思います。私たち現代人の寂しさが淡々と描かれています。キリスト教の成立した初期の有り様も示してくれます。読んだ方がいいのです。人間の宝の一つだと思います。