ダイオキシン対策として「高温全連続炉」が唯一の道であることが強調されるようになった。そして高温で絶え間なくごみを燃やし続けるために最低量のごみの集積が必要で、小規模分散型の焼却炉ではこの条件が満たせない。そこでごみ焼却施設の統合、すなわちごみ処理の広域化が必要となる。誰もが「なるほど」とうなづいてしまうが、これが意外にも、深刻な問題をいくつも派生せしめるというのである。
一般ごみの処理処分の権限は市町村にあるが、広域化されれば個別市町村の権限は剥奪される。また24時間365日ごみを燃やし続ける高温全連続炉は、「ごみが減っては困る」性格をもっており、ごみ不足対策として一般廃棄物と産業廃棄物を混合して燃やすということが行われ始めた。すなわち企業の責任であるはずの産廃処理が一部公費負担になるのである。しかも広域化によって数十万人規模にまで拡大したごみ処理の業務を、現実に担っていけるだけの能力を行政は持ち合わせておらず、実際の仕事は大企業に丸投げせざるを得ない。ごみ行政の事実上の民営化だ。こうした官民一体の仕組みの行き着く先は、大量生産・大量廃棄社会の維持存続にほかならない。
われわれが当然だと考えていることも、実は単純素朴な思い込みにすぎないのかもしれない。高温炉がダイオキシン対策になるかどうかすら、本当は実証されていないという。ジャーナリストの鋭い嗅覚をもってごみ問題に大胆に切り込んだ本書は、広い領域へのすぐれた問題提起となっている。