アクティブかつ右肩上がりの人生
★☆☆☆☆
帝国ホテルで顧問を務めた料理人,村上信夫の自伝。
著者の人格には積極性と奔放さが同居しているような雰囲気があり、硬質な筆致からは意志の強さがうかがえる。
「陽気を発する処金石も亦透る」といった感じの内容で、とことんアクティブな生き方に魅力を感じる読者に向いているのではないかと思う。
骨惜しみしないということの美学
★★★★★
本書は、帝国ホテルの総料理長であった村上信夫氏の自叙伝である。
大正10年生まれ。両親は神田で食堂を営んでいた。
関東大震災で被災後は、北千住で貸家業。
当時、村上氏はものすごいガキ大将であったという。
ご両親が結核でなくなり、12歳でひとり立ちされた。
浅草のブラジルコーヒーに住み込み小僧となる。
元気で、機転が利く、誰からも好かれる。
向上心旺盛、怖いもの知らず。
人にも恵まれ、運良く、念願の帝国ホテルに職を得る。
徴収され、戦場でも、抑留されたシベリアでも
その人柄の良さと強運に恵まれて帰還。
淡々と語られるご自身の修行時代の出来事であるが
じっと耐えて努力する姿勢が行間から滲み出てくる。
誰にも負けない料理への情熱という自負なのか、
自分が一番好きなことをしているという喜びなのか、
努力が報われる時代であったのか。
否、成功する人には時代を作っていくというバイタリティを感じる。
講道館六段。
真に才能のある人は、いつも謙虚である。
日本史のフルコース
★★★★☆
村上信夫さんは、両親と死に別れた1933年から帝国ホテルに採用された1939年までの日本のことを次のように回想している。
「まさに古き良き時代だった。日本は貧しかったが、社会にゆとりがあって、のんびりしていた。人間もいたってのんきで、優しく、温かかった。学歴がないまま社会に出た少年少女は毎日懸命に働くことを強いられたが、ささやかな希望を持って生き抜けたのは、社会に遊びというか、のりしろのような部分があったからだろう」
村上さんは、新兵として上官の鉄拳制裁のしごきを受け、歩兵砲中隊の照準手として激戦に次ぐ激戦に参加して4回負傷し、捕虜としてシベリアに2年間抑留された。修羅場をくぐってきた本物の戦争体験者が戦前の日本を「古き良き時代だった」と懐かしんでいるのである。日教組に代表される反日的日本人どもが吹聴する戦前暗黒史観ほどバカバカしいものはない。
住民が逃げ去った無人の集落でも決して兵士の略奪を許さなかった日本軍の軍紀の厳しさ、早朝の敵陣に奇襲を仕掛ける直前、敵陣まで美味しい匂いを漂わせるカレーを作り約60人の戦友に食べさせようとした村上一等兵を建前として怒鳴りつけながら耳元で「おれにも食わせろ」とささやいてカレー鍋を黙認した陸軍少佐の人情、日本人再教育として帝国ホテルの超一流のコックたちにオムレツつくりの模範演技を披露する米軍コックの厚顔無恥など、村上信夫さんの自伝「帝国ホテル厨房物語―私の履歴書」は村上さんが駆け抜けた戦前から戦後の波乱万丈の日本史フルコースであり、何度も読んでも飽きない。
一流の職人とは
★★★★★
この人のような不断の努力と勉強によって生まれるものなのだと思う。学校にもあまり行けず、読み書きさえ不自由するような状況から、料理人として修行していってここまでできるのだ、という素晴らしい見本。料理の腕前だけでなく、人間の器量というものは一つのことに打込むことでここまで行けるのだ、ということが非常によく分かります。一流の職人はどうあるべきか、ということがよく分かる本ですし、職人としてだけでなく、良く生きる、とはこういうことなのだ、と実感させられる本でした。
とにかくエネルギッシュです
★★★★★
帝国ホテル総料理長だった故村上信夫氏の自伝。
さらっと書いてあるが、両親と死別したため尋常小学校にもろくに通えず、
漢字の読み書きもできなかった筆者が、慌しい厨房生活や軍隊生活の中で
読み書きを覚え、フランス語を覚え、しかも柔道に熱中し段位を取るなど
その行動力は並々ならないことがわかる。
抑留されたシベリアでの強制労働や、GHQに接収された帝国ホテルでは
フランス料理が作れなかった話など、当時は相当苦労していたのだろうが
あまり愚痴や苦労話めいてもいない。
人間力が相当に高い人だったのだろう。
個人的には、シベリアから帰国後、帝国ホテルに挨拶にいったら、
軍隊生活ですっかり顔つきが変わっていたので、
昔の上司である総料理長から「どちら様ですか?」といわれたこと、
しかし包丁で野菜を千切りにしている音で「おお、村上か」と
わかってもらった話などが面白かった。