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神聖喜劇 (第2巻)

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
ブランド: 幻冬舎
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第1巻より動きは少ない ★★★☆☆
 この第2巻では舞台は全て兵舎の中であり、第1巻のような主人公=東堂の回想シーンも殆ど無く、上官や古兵らの屁理屈(?)による新兵いびりが延々と続き、更には身体・知的障害に対する差別や部落差別の要素も加わり、読んでいて気分が暗くなってきた。
 第1巻でも感じた事だが、主人公の東堂太郎の設定がかなりスーパーマン的過ぎて、あまり感情移入できないし、やや荒唐無稽でもある。もう少し人間的弱みを持った現実的人物造形にすれば、作品の完成度も増したのではないかと惜しまれる。
声高に軍備を主張する人は・・・ ★★★★★
 この巻の最も印象的な、また共感を持つ部分は、後半中国大陸での戦闘を経験してきた「大前田」氏が「戦争のなんたるか」を力説する部分です。
 彼は戦争とはより多く敵を殺し、より多く陣地をぶんどった方が勝つ、ただそれだけが本質の、上品でも高等でもなんでもないものなのだと喝破、
軍の高官や国のお偉方にいまさらキレイ事は言わせない!と主張します。

 戦争の現実、本質はその通りなのだと思います。
 結局、それ以上ではないのでしょう。
 なんと非難されようと、より多く残虐にヒトを殺した方が勝ちなのです。

 そして殺し、殺される役回りをさせられるのタダのヒト(私や私の家族。
先の大戦では父の従兄は沖縄で、義父の兄二人は南方で亡くなっています。
彼らは壮絶に殺し、殺されたのでしょう)。

 憲法9条の改正や再軍備(=徴兵制の復活?)、核保有の是非はともかく、
それを声高に主張する方は是非有事の際に最前線で捨て駒となる覚悟でお願いしたいものです。
(安全無害な司令室での作戦会議を担当するなどという想定はゴメンです。)

 史実や映画、こんなマンガを読むたびに、人間の残虐さを思い知らされますが(きっと私もなんでもやるのでしょう)、
そんな人間の残虐さが現れる状況を避ける、
つまり戦争状態を避ける事がとても大切なこと!だと思います。

 やはり再軍備より手練手管、優秀な外交官の人数を増やす事のほうが大事だという思いを新たにしました。

 (こどもにも読ませようか、と思っての購入でしたが、
第一巻とも中国人捕虜・日本人在中女性へのすざましい暴挙の描写で取り止めました。
 いつかはそんな事も知らしめなければならないのですが。)

偉大な創造者をしっかり確認しよう。 ★★★★★
自己の生きている状況を「喜劇」として、観るというのはかなり力がいる。ましてや、「神聖なる喜劇」として 観ると いう立場を維持し続ける意志力。そう 観ることで 冷ややかに 自己の立場を 貫こうとしている。舞台は敗戦間近 対馬。そこの大日本帝国陸軍。
大西巨人という作家・・・大西巨人は 『神聖喜劇』を完成させた。奇怪なる 文体。その緻密な 世界は 彼の文体でないと 描かれないことに納得する。妥協しない 大西巨人。 私たちは彼の世界に屈して彼の世界に入り込まざるを得ない。そこは かって私たちが知ることができない未知の世界。全く 異なる 世界を 私たちは 見ることができる。大西巨人の『神聖喜劇』は そのようなもの。天才と言うべきか 奇才と言うべきか 私には わからず。
かって 私は『神聖喜劇』を 読み通す努力をした。彼の世界に入る儀式は大変であった。
今、大西巨人の『神聖喜劇』は いつ映画化してもいいように 脚本が 別の人によってきあがっている。
そして、粘り強く 漫画化した創造者がいたとは。おどろきと感動。新しい体験をしてみましょう。一緒に。
底知れない原作を見事に漫画化している! ★★★★★
原作の第二部を描いたこの漫画版第二巻は、第一巻とはかなり雰囲気が異なっている。ここで焦点をあてられるのは主役の東堂ではなく、冬木や大前田、鉢田、橋本らである。とくに大前田の一挙手一投足には注目させられるが、そのほかの三人も相当の役者である。
 クライマックスは後半を占める演習中のできごとで、ここの描写はまさにこの作品の魅力を凝縮したような、異様に密度の濃い展開がある。原作からして、この場面だけ芝居にしてもそのまま十分面白いほどの出来であるだけに、漫画版ではこの場面が物質的な重みを持って読者に迫ってくる。漫画では主人公の心の動きや、さまざまな考察は省略されているので少し分かりにくい点もあるが、それが逆に読者自身をこの場面に感情的に直に向き合わせる。原作も驚異的な作品だが、その漫画版もまた十分に……いやもしかしたら原作以上に楽しめる内容となっているかもしれない。
 白眉は、社会外社会で生きてきた部落出身者が、大前田が直面してきた戦争という現実を「あってあられんごたぁある」と表現するところである。これは、当時の日本が抱える社会的矛盾を見事に凝縮して呈示した場面であるだけでなく、ここに至る大前田と数人の兵士たちとの、東堂にさえ思いがけない展開をみせていたやりとりの頂点にあるものでもある。ここには、ほとんどシェイクスピア的に豊かで、一語一語ごとに状況が変化し、当事者たちの微妙な心境もまた変化していく演劇的場面がある。
 小説をあわせて読むといっそう楽しめるが、この漫画だけでも場面場面の迫力は十分以上に伝わってくる。それだけでない、この漫画は、二十世紀のポリフォニー的な小説形式を、漫画もまた取り得ることを明らかにした。漫画の未来もまたここに予見されている。戦慄する傑作だ。