談志、老いたり!
★★☆☆☆
ほとんどの内容が今までの著作の繰り返しで、わざわざ「最後の落語論」として出版する意味がわかりません。
これは談志本人が悪いというより、回りの取り巻きが悪いような気がします。談志を利用して金儲けをしようと目論んでいる輩が多すぎます。
ダメェーーー
★★☆☆☆
「買っちゃぁ不可ネェ」とまでは言わないが、殆ど今まで言ってきたことの繰り返しばかりなのでがっかり。
でも、あと2冊も出るのか・・・。まだ言い足らないのかね?
必ず可楽や今輔に対する批判って書くけど、中身が無いというか薄い。
単に、中学生の頃アルバイトしてようやっと貯めた金払って寄席に来てみれば、いつも今戸焼聞かされたっていう、
その怒りだけなんじゃないの?としか思えない。
らくだで酔うのが早いとか、いつもその程度の批判でしょ。
最後は志ん生批判で終わり。
ずるいんだよ。
そのときの都合で「日本教に反することはできない。」って言ったり、「落語家ならやらなきゃおかしい。」って言ったり。
最終的には「人間の業」って言葉で居直る。
もう70越して「業」だなんだの言ってんなよなぁ・・・。
まぁ、生きてる限り家元の本はずっと出るでしょう。
「遺言集」出してもまだ出てるんだから。
でも、もういいや。
さようなら、談志さん。
論じゃなくてボヤきデス
★☆☆☆☆
ボヤきと言いながら、論じている 野村監督を見習って欲しいです。 これじゃあ弟子がかわいそう。。
日本辺境論より日本人の本質をついている
★★★★★
この本は、落語という日本独特のフィルターを使って、日本人、ひいては人間の奥の奥にある、いままで誰も説明できなかったモヤモヤしたものをスパっと解いてくれる快感があった。演者によってフィルターの性能はピンキリで、談志さんのフィルターが絶品であることはいわずもがなではあるけれど、だからこそ、「落語とは、人間の業の肯定である」を実践できるのだなあ。
この本、『日本辺境論』より日本人の日本人たる所以を明確にわからせてくれました。三語楼を知らなくても、火焔太鼓がわからなくても、楽しめます。
167ページの「さて、余興だ。」からはじまるエロ講談。いやはや、下品でつまらないものが天才の手にかかるとこうなるんですね。世間とか常識とか、理性とかに普通に毒されて、自分が間違ってるのかなと思ってる自己否定しがちな人がおられるならば、この本を読むべし。談志さんの罵詈雑言に救われますよ。っていうか、談志さんって、ずば抜けて優しい人なのだな、きっと。
現代落語論から45年
★★★☆☆
当時、国立小劇場で開かれていた落語研究会。司会のアナウンサーも
解説の劇作家も、プロデューサーも、蛇蝎の如く、談志師を嫌っていた。
世の中の王道や、権威をことごとく否定するからだ。
でも、若い僕は談志師に味方したかった。その理由は、
若かったからだ。
現代落語論から45年、談志師は、やはリ年を取った。