贅沢な気持ちになれることは確か。
★★★★★
著者は「五十近いのに定職にも就かないで、鎌倉時代の歌人や近世の漢詩人や現代作家などの年譜を作って食べているという人なのだ。文学全集などの年譜を作ると原稿料がすごくいいらしく、一年に一人分作れば十分生活していけるらしい」(p113)。この屈折した自己紹介を含む一文の初出は92年なので、現在も同様かどうかは不詳だが、とにかくそういう人物があちこちに書いた考証・薀蓄エッセイの集塊が本書。各編は短いのに高密度で厳格、読み流しを許さない。
ただ急いで付け加えれば、それでも次から次に読みたくなる。高密度で厳格であっても堅苦しくはなく、たとえば上に一節を引いた文中には田中康夫作品にスッチーが頻繁に登場することに絡めて「スチュワーデスって現代の娼婦でしょう」(p115)なんていう暴言(笑)も読まれる。あるいは観劇して、井上ひさし『紙屋町さくらホテル』では「最前列だったので大瀧秀治と目が合ったような気がして、感激」(p191)、朗読劇『老妓抄』では「最前列だったので山田五十鈴と目が合ったような気がして、感激」(p192)と、茶目っ気タップリ。
柴田元幸も帯に、著者は対象に「惚れ惚れ」してると書いてて、確かにその通りなんだけど、しかし愚考するに、こういうのは宿命の一種で、著者は「年譜のおじさん」(p113)たるべく呪われている、とも言えるんじゃないか? ま、超能力者はみんなそうですけどね。
閑話休題。著者は「『性交する』の意で『乗る』が使はれる例に接した」のは金子修介監督の『就職戦線異状なし』(91)が初めてで、「その後これ以外の用例に接したことはない」と書いている(p219)。私としてはRCサクセションの「雨あがりの夜空に」の「こんな夜にお前に乗れないなんて〜」という歌詞を思い出す。初演は80年以前のはずです。
「旧字・旧かな」の文学の世界に、住んでいる異人
★★★★☆
安田謙一『ピントがボケる音』、浅倉久志『ぼくがカンガルーに出会ったころ』など、「この人が本が出たらいいなあ」と読者が夢想する本を刊行してきた、国書刊行会のカリスマ編集者・樽本周馬氏の編集ワーク。
武藤は師匠から「学者というものは、学術的な本を出すのが本業で、エッセイ集など、死後か、老年になってから出すものだ」といわれていたそうだが、樽本氏の熱心な依頼で、この本が出た。
先年亡くなった杉浦日向子が、「現在の人でありながら、『江戸に住んでいる』」人だったように、この人は、「『旧字・旧かな』の文学の世界に、住んでいる人」だ。
何せ、高校2年のころから、自分で書く文章は「旧字・旧かな」で書いているそう。(夏休みに「谷崎潤一郎全集」を読んだら「乗り移られた」そうだ。この本の前書き、後書きも「旧かな」で書かれている。雑誌に発表する文章なども、以前は、一回「旧字・旧かな」で書いてから、「新字・新かな」に直していたそうだ。)
そして、成瀬の映画を見たり、昔の劇作家の芝居を見たりしても、気になるのは「現在では使われない、耳慣れない言葉」で、それを戦前の辞書で見て、確認するのが楽しみだという。
テレビは嫌いで見ない。ラジオは、放送大学を聞いたり、「古い文学作品の朗読」を聞くのに使っている。
という「世間からずれまくった、渋すぎる趣味」なのだが、それを「私のようなヌルイ読者」にまで楽しませるのが、武藤のポップな文章芸のゆえなのだ(同じように、古い文学を紹介している坪内祐三に、イマイチ私が乗り切れないのは・・・、ネタは最高なのに、文章があんまり面白くないからなのだ)。
その「古くさく思えるモノ」を面白く紹介する芸は、故・杉浦日向子なんかとも共通している。
ただ、一つ難をいえば、武藤の文章芸が巧みすぎるので、武藤氏がいくら「里見トンはいい!」と説いても、その紹介文で十分満足してしまい・・、実際に里見トンを読もうという気持ちが、ナカナカわいてこないことである。(そういう点では、坪内氏の薦め方のほうが「読書欲」を書き立てる内容である)
また驚いたのは、武藤は1974年に、都立国立高校に入学しているのだが・・。1967年から悪名高き「学校群制度」が導入されているにも係わらず・・、国立高校の先生たちの教養レベルの高いこと、高いこと。
教師と大学院生などのOBとで「源氏物語の読書会」が開かれている(武藤は1年生の時から参加)。必修クラブに「ギリシャ悲劇」(「必修」というのが驚き!)というのがあり、なぜか数学の教師がギリシャ悲劇に詳しく、彼の講義を武藤は聞いた。また、漢文の教師は放課後に「史記の読書会」を行っており、これにも武藤は参加。
ちなみに、修学旅行の後には作文提出をする必要があったが、武藤は、『即興詩人』のような「文語文・旧かなづかい」の作文を書いたという。