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黙示録論 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,365
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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愛と表裏一体の絶対的権力と支配への情動を人類は克服できるのか? ★★★★★
黙示録/黙示文学、これをAPOCALYPSEという。著者のロレンスは、幼少のときより、“黙示録”に対して異様なる嫌悪をもってこれに接してきたのだそうだ。私も、さっそく本書に併巻されておる”ヨハネの黙示録”とともに、新約聖書の巻末を飾るそれを熟読した。そこには、絶対的正義=光=クリスト=ユダヤ民族が、絶対的悪=闇=アンチクリスト=他民族を殲滅するという二元的世界が、”憎悪”と“憤怒”とともに描かれていた。虐げられた民族の、腹の底からの振り絞るような、絶対的力=リヴァイアサンによる支配と完全勝利への凱歌がそこにはあった。四海に包まれた我々日本民族、すなわち、虐げられたことがない、また被支配(米国による占領統治)をたった一度しか受け入れたことがない民族には、決して理解ができえない暗い暗い感情なのである。ロレンスがこれを著書した1930年代は、下記の前三者の全体主義と共産主義、そして一後者の理想的平和主義が世界を席巻した時代である。すなわち、ロレンスは、ムソリーニ/ヒトラー、レーニン、そしてウイルソン(絶対的権力への情動的反動)をその系譜にあげ、彼らを偽聖者ととらえ、それぞれが掲げる主義思想の裏に潜んだ、歪んだ絶対的愛、そして力への永遠なる信仰への影をみるのである。それはあたかも“黙示録”を著した者どもになぞらえるかのようでもある。事後、世界は彼の予感通りになる。世界の超大国は、いまなおリヴァイアサンをもとめてやまない。他者を真に愛することへの障壁は、今般においてもなお高く聳えたっているのである。欧米列強が支配する現世界が奉じる経典は今なおやはり“黙示録”なのであろうか?そのAPOCALYPSEには、黙示録/黙示文学の他に、天啓、或は大災害の意味がある。人類が選択するのは果たして前者か、それとも後者か?我々アジアの民の積極的なコミットメントが今求められている。
記号的、論理的思考から、象徴的、情動的思考へ ★★★★★
「この本を買った人は(…)」の欄に『19歳』が入っている所から推察するに、朝日新聞(04.12.26)の宮崎哲弥氏の“今年の3点”に惹かれて購入した方もいる様子。座右の書だと紹介されていて、ちょっと意外。でも、おかげで復刊しているのを知ったので、感謝。

僕がこの本に興味を持ったのは、現代フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの批評から。彼は本書を「聖戦を唱えるキリスト教と平和主義者のキリスト」を共に批判した書と評価。また「軍・警察・市民が一体となった一大保安体制(<聖エルサレム>)」の恐怖を描いている、とも(『批評と臨床』)。まるで米国の保守化と世界戦略の予言だけど、その一方で、大都市バビロンへの下層民衆の呪詛は、むしろN.Y.を襲ったテロリストに近い。
もう一つドゥルーズが言うのは、ロレンスとニーチェの親近性。ニーチェの『反キリスト』が無ければ、ロレンスも本書を書かなかったのではと思えるほどだ、と。実際、訳者もニーチェに言及しているし、二人の共通項は多い。賎民の嫉妬、‘大衆の反逆’(オルテガ)であるキリスト教と民主主義への、同時攻撃。イエス個人とキリスト教の区別。イエスへの屈折した賞賛と反撥。聖書の内容への、曝露心理学的な批判。キリスト教の教条主義と対比した、仏陀への賛美。健康的な権力と、真の貴族主義の称揚。近代科学の抽象性の批判と、古代ギリシアの哲学者への郷愁。男性的なるものと女性的なるものの差異の主張。肉体性の肯定。

本書が最も鋭く批判するのは、近代的自我という枠を防衛する為に、自然や他人との生きた結合を失った現代人。人類、国民、家族との真の結合を説く本書を、単純、短絡的な伝統主義に回収させずに生かすことが、読者の責務だろう。