僕がこの本に興味を持ったのは、現代フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの批評から。彼は本書を「聖戦を唱えるキリスト教と平和主義者のキリスト」を共に批判した書と評価。また「軍・警察・市民が一体となった一大保安体制(<聖エルサレム>)」の恐怖を描いている、とも(『批評と臨床』)。まるで米国の保守化と世界戦略の予言だけど、その一方で、大都市バビロンへの下層民衆の呪詛は、むしろN.Y.を襲ったテロリストに近い。
もう一つドゥルーズが言うのは、ロレンスとニーチェの親近性。ニーチェの『反キリスト』が無ければ、ロレンスも本書を書かなかったのではと思えるほどだ、と。実際、訳者もニーチェに言及しているし、二人の共通項は多い。賎民の嫉妬、‘大衆の反逆’(オルテガ)であるキリスト教と民主主義への、同時攻撃。イエス個人とキリスト教の区別。イエスへの屈折した賞賛と反撥。聖書の内容への、曝露心理学的な批判。キリスト教の教条主義と対比した、仏陀への賛美。健康的な権力と、真の貴族主義の称揚。近代科学の抽象性の批判と、古代ギリシアの哲学者への郷愁。男性的なるものと女性的なるものの差異の主張。肉体性の肯定。
本書が最も鋭く批判するのは、近代的自我という枠を防衛する為に、自然や他人との生きた結合を失った現代人。人類、国民、家族との真の結合を説く本書を、単純、短絡的な伝統主義に回収させずに生かすことが、読者の責務だろう。