ネット環境はもうどこにでもあるものですから、今は誰でも気軽に作文をします。決まった相手にメールを送ることもあれば、広いウェブにあてもなく、ただ語ってみたいこともある。使うのはもちろん言葉なわけで、誰もが持っていて誰でも使えて、それこそいちばん平凡な日用品なので、水や空気と同じように、膨大なる量をただ無駄遣いしてしまうことも多い。
それがじつは寂しいことだと、考える機会はなかなかありません。自分の言葉はどこからやってきて、誰かとどんなに響きたがっているか、好きでやってるワリには無自覚のまま、わたくしはよく、ボケっと語り流してしまいます。
しかし、ほんとうはそうではないのだと、気づく夜もたまにはあります。言葉は人と人とではじめて成り立つものなわけで、発する誰かはきっと向こう側に、はげしく誰かを求めている。そんなときには、ものすごく不安です。
言葉が好きだという人は、たぶんみなさん、すんごい寂しがりやさんなのでしよう。知らないうちにココロのどこかに、セツない孤独を抱えておられる。言葉に関する悩みというのは、ほぼ、気づいてしまったソノコトではないでしょうか。
村松さんはそれをとてもよくご存知で、「誰かと響きたい」というお悩みについて、一つも取りこぼしがありません。どんな質問にも、まず「寂しい自分を認めなさい」という。そして「寂しい自分を許しなさい」という。そのあと「寂しい君のままでいいから、響きあいたい誰かのために、できるだけのことをしなさい」といってくれます。
そういう本です。作文を行っていて、ひょっと行き先を見失ったときなど、これ以上の励ましはないなと感じながら、読み返しては元気になっております。