著者は、自分とまったくの他人である人たちの苦痛を本当に理解することができるのだろうか?またその手段として写真はどのように被写体に向かうべきなのか?、と自らの煩悶を語っている。
ベトナム戦争以前の有名な戦争写真はだいたい写真家やその現場の人たちによって作為的に撮られた。この記述を読んで私は落胆したが(やっぱり劇的な場面はそうそう撮れないよなぁ)、著者のソンタグ氏によれば、この感情自体がもう戦争写真を単なるエンタテインメントとして捉えているだけで、一向にそこで起きている事実を理解しようとしていないことになるんだろう。
これからは、上記のことを肝にめいじて写真をみることにする。