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反解釈 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,575
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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意味という病 ★★★★☆
今年出版界の一大ニュースといえば、村上春樹による久々の長編小説『1Q84』
の1と2が発売され、とてつもないヒットをたたき出したということだろう。驚くべき
はもう一つあり、小説の出版からわずか数ヶ月で当の作品を分析・批評する単
行本が何冊も発売されたのだ。それは意味するのはおそらく、日本の春樹読者
が春樹作品を欲していると同時に、春樹作品を「解釈してくれる言葉」をも欲して
いるということなのだろう。

このような春樹作品の「二重の需要」の背景には、あるイデオロギーともいえる
固定観念が棲みついている。それは、作品とは内容であり形式とはその内容
を伝えるための、いわば受け皿に過ぎないということ。したがって我々読者は対
峙する作 品の内容、つまり意味を即座に解釈しなければならない。これは至極
当然のよ うに社会で受け入れられていることだが本当にそうか。ソンタグの小論
「反解釈」 が投げかけるのはそんなラディカルな疑問だ。

著者が非難する解釈とはつまり、あの棒はペニスを象徴し、あの箱は女性の…
というようにあらゆる小説内存在を単一の物語に読み解いていく、いわゆる「翻
訳」に似ている。彼女の批判の矛先には当然、俗流精神分析的な批評やマルク
ス主義的批評があるのだろう。

ソンタグが上のようなことを主張して早半世紀が経とうとしているが、冒頭で述べ
たとおり我々は今だ、解釈の病に罹患している。そしてそれこそが、知性の今だ
果たせずにいる世界への「復讐」なのだろう。作品を考えることから感じることへ、
芸術鑑賞を頭を使う作業から官能の経験へ。

これを読むか読まないかで、美術鑑賞の視野は決定的にちがってくるのかもし
れない。
翻訳に難あり ★★☆☆☆
1971年竹内書房出版の版権を買い取っての文庫本化。
6人の翻訳者、しかも全員戦前の生まれの大学教授による71年の原稿のまま出版していて、とにかく翻訳がひどい、ソンタグが批評の対象とする原著作からの引用部分もしっかり確認されていない。英文の「Agenst Interpretation」から文が落ちていたりで、大学教授達の研究用翻訳のレベルです。
これだけ注目されているソンタグなのに、まともな翻訳がないのは残念な限り。
日本語になっていない用語も多く、途中であきらめてペーパーバックに乗り換えました。
「芸術に対して知性が恨みを果たそうという試みが、すなわち解釈なのだ」 ★★★★★
作品にあらわれる「純粋な、翻訳不可能な、官能的な直接性・・・」
それがいかにそのものであるかに、形式にもっと注目せよ、とのソンタグの忠告。

"この作品が意味するのは・・・"と当たり前のように使っていたが、芸術は
思想や文化に吸収させるべきではないのだ。
「いま重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ」とソンタグがいうように、
視覚的・感覚的に芸術を理解することをあまりに恐れていたことに気づかされた。

14歳ぐらいのときに読んでいたかったなあ、と思うのです。
サブカルチャー論の嚆矢 ★★★★★
ソンタグ初期の代表的論攷「反解釈」と「キャンプについてのノート」が収録されている。1950年代、ここ20年にわたるアメリカの大衆社会化、大衆文化の興隆状況にどのように対峙するのか、これがニューヨーク知識人たちの課題だった。既にハロルド・ローゼンバーグの「アバンギャルドとキッチュ」など秀逸な論攷はあったが、いずれも、十全たる大衆文化評価論には到達していなかった。「内容よりも形式」「解釈ではなく、あるがままに作品を捉える」というソンタグの美学論は、こうした社会、論壇状況のなかで爆発的な喚起力をもったのだ。「キャンプ…」は、そうした大衆社会のなかで蠢く「キャンプ」的な感性の輪郭描写を試みたもの。だが留意すべきなのは彼女がキャンプに対して「反発によって制約された深い共感」をもっていると言及しているところだ。つまるころキャンプに対する彼女のスタンスは、欲望自然主義的な感覚重視ではなく、緊張感と危機感を孕んだ、微妙で繊細なサブカルチャー論だったのだ。
50年近くを経た現在、当時は萌芽的であったキャンプ的感性/サブカルチャーは、消費文化の拡大の中で支配的な文化様式へと格上げされた。「キャンプが支配的になったとき、キャンプはキャンプたりうるのだろうか」。この問いに彼女が生きていたらどう答えるだろうか。
スーザン・ソンタグはお好きですか? ★★★★★
911テロ直後の発言で久しぶりにスーザン・ソンタグの名前を聞いたと思ったら、先日新聞に訃報が載っていました。何かにつけ「アメリカの知性」と紹介されていましたが、それは単に、頭のいい、口うるさい人と紹介しているのと同じでした。(チョムスキーが言語学以外の政治的発言をする時にも、そう紹介されること多いようです。)
私自身は彼女のフランス仕込みのレトリックについて行けないことが多々あります。ただし、本書の中の「キャンプについてのノート」はレトリックとは無縁で非常に興味深く読めました。"キャンプ"とは、できの悪いもの、いわゆる"ヘタウマ"なものを愛でる感情に関連する言葉です。ドイツ語の"キッチュ"という言葉に近い意味を持っています。これについて説明する時、彼女は例を挙げながら、これはキャンプ、これはキャンプではない、というふうに説明していきます。しかもこれでしか説明できないと。ちなみに、我が国が誇る映画"ゴジラ"はキャンプなものに分類されています。