本書で強調していて、私も「ふ~ん」と感心したのが、「口(くち)」についての考察です。従来の文字学の『説文解字』では単なるクチの形として解釈していますが、白川文字学では、この字は下記のような亀甲文字を起源にしており、
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「サイ」と呼ぶ箱型の容れ物をかたどっている、と説明します。
本書には「U(ユー)」に横棒を加えたような「サイ」を示す漢字が頻繁に使われていますが、JISコードには登場しない文字ですので、ここでは便宜上「∀」と表記しておきます。
白川氏は、この「∀」に収めるものは祈りの文であった、と解釈し、弟子である山本氏はこの解釈を絶賛して次のように言っています。
その「∀」の実質、その機能を深く理解することをもって、はじめて
日本の現在と、中国古代をつなぐ通路はひらかれるのです。
たとえば、人は右手に「∀」を持ち、左手に「工」の形をした呪具を持って神の思し召しを聴こうとします。手を示す「ナ」と組み合わせると、次のような「右」「左」の成り立ちが分かります。
「ナ」+「∀」=「右」
「ナ」+「工」=「左」
この「∀」と「工」を手向けて神のありかを尋ねるのが「尋」という文字とのこと。「尋」の上部にある「ヨ」も下部にある「寸」も「手」の変形ですから、「右」と「左」を合体させているのです。
こういう説明を目にすると、「人は右手を使って食べ物を口に運ぶから、という従来の説は、とるに足らないものである」という山本氏の主張も納得してしまいます。
漢字は単なる記号ではない。自然や社会に対する切実な思いがこめられているのだ。という白川文字学に、この入門編を通じて耳を傾けてみましょう。