セックスに秘められた力
★★★★☆
聖書に「穢れた娼婦」として登場するマグダラのマリアのチャネリング本です。
チャネラーは「ハトホルの書」のトム・ケニオン氏ですから、真偽の点では
信頼できると思います。
マグダラのマリアからのメッセージを読んでも、違和感なく感じ取れますし、
なんとなく気高い雰囲気を感じます。
イェシュア(イエス)とマグダラのマリアとの真の関係が明かされていますが、
聖書文化の方たちにとっては、それこそ天地がひっくりかえる程のことでしょう。
また、セックスの奥義とも取れる「イシスの性魔術」なるものも明かされていますが、
これは軽く捉えると、性欲に支配された堕落の世界を構築してしまう危険性があります。
その点で、当時の教会が女性を蔑視することでセックスを封印したことは、
それなりに意義があったことではないでしょうか。
トム・ケニオンによる内なる錬金術(意識変革)の解説は、言葉の意味を詳細に
説明してあり、非常に分かりやすかった。
書籍の大半を占めたジュディ・シオンによる悲劇の半生録は、気がめいるだけで
たいして得るものがなかったことが、残念である。
マリアと混同?
★★☆☆☆
マグダラの書というタイトルからして、この本を買う人はマグダラのマリアに関するトムのチャネリング情報、及びマリア像をもっと知りたくて購買すると思います。ホルスの錬金術とイシスの性魔術については、よく書かれてますが、後半の”ある女性の物語”は、ハッキリ言ってがっかりしました。マグダラのマリアがジュディに書きなさいと何度も言われて書いたとありますが、とてもそれが真実だとは思いません。なぜなら、マリアのインスピレーションをひとしずくも感じない文章だし、行間を読んでも感じとれるものが何もない作品だからです。とても陳腐な物語にしか思えませんでした。聖なるマリアと関連づけて書いているつもりでしょうが、翻訳のまずさか、原文のまずさなのか、読んでいて参考になるような啓発的要素がありませんでした。ジュディシオンの個人的な生き様を知りたいわけではないし、もし自分のパーソナルストーリーを公表したいのであれば、それは別タイトルで別の本に書けばいいのではないですかね。ある男性から虐待を受けただとか、ところどころ、意味不明なジュディの宇宙観なのか、個人的な意見なのか、または、自分がその時見ている情景なのか、意味不明な箇所が数カ所出てきています。”マグダラの書”というタイトルにふさわしい内容だけを集約し、もっと吟味して出版して欲しかったです。こんな本だとわかっていたら、買わなかったです。アマゾンで本を購入する場合は、このようなレビューを読んで参考にする人も多いと思いますので、あえて正直に感想を書かせてもらいました。★を2つにしたのは、トムのチャネリング情報は並以上のクオリティーだと思ったからです。しかし、どちらかというと、”ハトホルの書”の方がもっと快適に読める本だと重います。
新しい時代の足音なのでしょうか
★★★★☆
何気なく手にして読んだ本書ですが、時同じくして「ユダの福音書」関連の本も読みました。
底に流れている意識、概念が共通していると感じてざわざわとした胸騒ぎを覚えました。
つまり、これまでキリスト教会が作り上げてきた聖典としての聖書は、権力者の手によって
意図的にねじまげられたものだということの告発です。
20世紀から21世紀にかけて、特にこの30年くらいの間にとてもたくさんの精神世界、神秘世界
に関する情報が公開されています。
エドガー・ケイシーにさかのぼっても、チャネリングにはかならずといっていいほど
ついてまわるのがキリストにまつわる隠された真実に対する興味です。
おそらく読者の層は異なると思われる「マグダラの書」と、より一般向けに編集されて
いる「ユダの福音書」関連書ですが、並べて読むと不思議なくらい同じ世界観を共有して
いるのです。
ユダも。マグダラのマリアも。裏切り者、卑賤の者とされた者は、実は高度に覚醒した
者たちだったこと。キリストと宇宙の秘密を真実わかちあえるのは、悪者にされた
彼らの方であったこと・・・。
たしかに、エジプトに神秘学の奥義があったこと、それをキリストの生きた頃の
覚醒者は身に着けていたであろうことは容易に信じられます。そしてその歴史を
葬り去って、神秘の知識の断絶を実現してしまった、2000年間の施政者たち。
繰り返しあらわれる断片的な記述をつなぎあわせて、その神秘の世界の奥深さの全容を、
想像するしかないわたしたち・・・。
この本はそんな世界を、マグダラのマリアというひとりの女性の語り、という手法を
とって、短いながらも的確に見せてくれる、すてきな物語だと感じました。同時に内容に
力強さがあるので読後も余韻をひきます。
☆4つにしたのは、あえて「性魔術」という副題が必要だったのかな〜と、思った点。
性魔術がかならずしも内容のキーワードではないのにそのことばを選んだ理由に疑問を
持ったからです。