古き良き時代の文楽記録
★★★★★
大正末期から昭和初期にかけて、文楽がそれなりに隆盛であった頃に、浄瑠璃にハマってしまった素人が、薀蓄の限りを尽くした幻の名著と言われていた稀覯本が、なんと岩波文庫に収録されました。各段ごとに、まさに講釈を垂れるのですが、必ず初演の大夫が誰であったかを記し、大夫ごとの「風」(ふう)を尊重すべきということを力説します。それ故に、清水町の師匠・名人団平の編曲(変曲?)にはやや批判的です。と言いつつ、どうやら自分が語りにくいものは勝手に言葉を変えてしまうという変幻自在さも持ち合わせています。内容的には、決して堅苦しいものではなく、素人の著者が玄人の大夫さんにボロクソに言われるところや、太夫さんに教えてもらう前にお弟子さんに下稽古を付けてもらうときに、毎回ご馳走をねだられるのですが、さて大夫さんの前で披露するとけちょんけちょんに言われて、結局タダ飯を食われただけとか、抱腹絶倒シーンがあちこちに散りばめられています。一方で、ご贔屓の大隅大夫の語りが良かったときは座敷に呼んでご馳走するだけではなく、羽織をプレゼントするなど、当時の旦那衆が、こうした芸人さんを支えていたことが良くわかります。この本を読んでいますと、著者本人も認める「芸人いじめ」が多少混じっており、これに対して当時の太夫さんたちが素人の著者のことをどう思っていたのか、そちらも記録を残しておいてもらいたかった気がしてなりません。もしあれば、かなり笑えそうです。どうやら著者は、古靱大夫(後の山城少掾)のような理知的な語りをする大夫さんはお好みではなかったようです。なお、大夫さん中心の記述で、三味線は付随的な扱いで、人形遣いはほとんど触れられていません。あと、原文の雑誌連載中にあった大正15年の御霊文楽座の焼失のことを一切触れていないのは、ちょっと不思議です。編者による詳細な注は、当時、いかにいろんな演目がかかっていたのかもわかります。
プロフェッショナルであるとは
★★★★★
義太夫節研究・評論の書としては現在底本であり(のちの文楽評論にこの書の引用・パクりが多いのを一読すれば解る筈)必読と謳われながらなかなか一般に入手し辛かった当書が岩波文庫で再版されたときの喜びは今も記憶に新しい。細切れに紹介・引用されていた内容からも当時の藝道の苛酷さや著者の評価基準の高度さは伺え、難解な書ではと構えがあったが意外な位筆致は諧謔的でユーモラスでさえもある。(ただし独特の癖が読み辛いかも)だが義太夫節に対しての要求・評価・注文は微に入り細に入り辛口で気が遠くなりそうになったのは印象通り。筆者の義太夫節への傾倒を差引いても当時は床が文楽の主流であり、命であったのがヒシヒシと伝わる。義太夫に限らずプロの仕事というものは、楽な方へ逃げたり利益のみを追求しだしては成り立たないという普遍的な真実をも語っている。現在の人形主体の文楽を、国立劇場・文楽劇場で実施されている字幕<サービス>を杉山其日庵なら何と言ってくれるだろうか。
素晴らしいとは思います。
★★★★☆
文楽を知っているものでこの本の存在を知らないものはまずいないと思う。
屈指の名作であるとは思う。かっての文楽の名人たちの苦悩、芸談を知る上では格好の材料ではあると思う。しかし、この本は読んでみて思うのであるが、タイトルが素人講釈であっても、内容は玄人講釈に近い。よく上演されものからあまり上演をされないものまで多岐にわたっている。この名著をうまくいかしていくにはもうすこし解説を充実させたほうがいいとおもう。