あまりにも大胆な発想
★★★☆☆
私は高校時代に日本史を選択していたこともあって、考古学の分野についてもっと深く知りたいがためにこの本を読んでみました。しかし、神話を分析した本だけあって、むしろ歴史教科書とは異なる記述が多いように感じました。勉強というよりは読み物感覚で「こういう解釈の仕方もあるんだ」と読み進めるのが良いと思います。
古典を読む本当の楽しさ
★★★★☆
易しい口調ではあるが、内容はかなり高度な本。現在『日本書紀』『古事記』(以下紀記)の内容を鵜呑みにする歴史学者はほとんどいない。しかし、逆に紀記の内容は時の為政者によって事実を潤色改竄されているので、歴史的資料としては使えないとして、読み込まない研究者が多くなってきていると森先生は嘆く。たしかに紀記の内容即ち歴史的事実ではないが、学問的検討(この場合考古学的方法論)を加えるとさまざまな古代の真実が見えてくる。本書では森先生『日本神話』をほぼ古代に絞っているが、こういう分析や作業は中世の文献にも可能であることをうかがわせる。
発見と想像を広げる楽しい本
★★★★☆
同じ古代を扱っていながら、長い間文献学と考古学とは仲が悪かった。(今でも決して良いとはいえない)だから貴重な古代の資料である「記紀神話」を考古学の立場で読みこむという作業は民間の学者でない限りあまりされてこなかった。その意味で森浩一の仕事は貴重である。私は岡山県の人間なので、郷里に関係あるところにやはり興味がいく。たとえば、「国造り」で八州を造るが、そのひとつに児島がある。だが、児島には前方後円墳がない。つまり児島は大和の直轄地ではなかったか、というのが森さんの推論である。古墳を造る必要がないほどすべての住民を把握していた、ということらしい。国造りで土をかき混ぜる動作は塩造りの作業に酷似しているらしい。しかも大和の祭器に採用されていない矛をつかっている。西方の海人の伝説が基になっているのではないか、というのが森さんの推論である。となると、児島は塩の大生産地であった。国造り伝説の大本は児島ではないか、というのが私の想像です。スサノオがヤマタノオロチを退治した剣は三種の神器になることはなく、なぜか吉井町石見にあるらしい。そこは鉄の産地ではあるのだが。そこからもいろいろな想像が出てくるのだが、本の内容とはあまりにも離れるので割愛。そのほかにもいろいろな発見、想像をかきたてられる記述があって楽しい本ではある。