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病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学

価格: ¥4,410
カテゴリ: 単行本
ブランド: 誠信書房
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:アーサー・クラインマン/著 江口重幸/〔ほか〕訳 出版社名:誠信書房 発行年月:1996年04月 関連キーワード:ヤマイ ノ カタリ マンセイ ノ ヤマイ オ メグル リンシヨウ ジンルイガク やまい の かたり まんせい の やまい お めぐる りんしよう じんるいがく、 セイシン シヨボウ セイシンシヨボウ 3825 せいしん しよぼう せいしんしよぼう 3825、 セイシン シヨボウ セイシンシヨボウ 3825 せいしん しよぼう せいしんしよぼう 3825 本書は、慢性の病いをかかえた患者やその家族が肉声で語る物語を中心に構成されている。今日の生物医学によって軽視されがちなこうした病いの経験、語りこそが、実は医療やケアの中心に据えられるものではないか。著者は、病いとその語りを、微小民族誌などの臨床人類学的方法を駆使しながら、社会的プロセスとして描き出そうとする。そして、病み患うことが今日どのような変容をとげつ
「病」に生きることこそ、むしろ人間的である ★★★★★
 微少民族誌というよりも、むしろ経験豊かで老年に達した町医者が語りつぐむような文章は、人間が背負わなければならない「病」というものに我々を直面させる。さらに、この書物に記された症例は、いずれもが悲惨であるが、「病」というものは、えてしてそのようなものであると、私の経験にも、またそれを裏付けるものがある。
 我々は、特別な場所に行かなくとも、この書物に記されたような患者に、どこでも出会うことは出来る。しかし、相手から語られる「人生」に共感しつつも、冷静な目で参与的観察をすることは難しい。
 人間は、意味なしには生きられない動物であるが、「病」がこれほど現実であり、しかも隠喩でもあることを考えさせられる名著として本書は残るであろう。
惜しむらくは ★★★★★
 容内的にはかなり充実している。
 が、惜しむらくは、患者のコミュニティーや、昨今流行の患者自身が作るセルフ・ケァ団体代への評価や言及があまりなされていない。その辺りの著者自身の視線や考えを明確にすべきではなかろうか?
 また、著者は初期の段階では患者の精神的ケァは主治医が行うのがベストだと考えているようだ。つまり、疾患の治療と精神的ケァの分業には反対の立場である。
「リハビリの現場に精神科医を配置してほしい」という私(=障害者)の主張とは正反対である。これをどのように解釈したらいいのだろうか?
 ここに記載されている『ナラティブ』だが、ただのインタビュ−ではない。かなり、カウンセリングの手法が用いられている。要するに恣意的な部分もかなり含まれている。
 当初、私は生の未整理のままの患者による『病の語り』が、「ナラティブ」なのかと思っていたが、読み進めていくうちに患者による『病の語り』を傾聴することとは、精神科のカウンセリングと同じではないかという観を強くなった。
 恣意的な『ナラティブ』は精神的ケァには違いないが、生の未整理のままの患者による『病の語り』も大切にして欲しいというのが、この『病の語り』を読んでの、正直な感想である。
  
臨床に関わる方へ ★★★★★
この本に出会って、人間の探求ということを深く考えされられました。
人間の内面的なうごめきを病いの経験から捉えることができる一つの重要な指標となる書物であったと思います。

通観して、私なりに感じたことや思い巡らすことは、
人間を理解するということは、様々な必要不可欠的態度や超広域的視野、
あるいは人間的な営みの中に据え置かれる人としての関係性などを持って
行われていくことであろうと感じられました。
これらの、非常に入り組んだ形で一人の患者を取り囲んでいる「病い」の網状組織を解きながら、
一人の人間に則して、一つの病いの経験として、理解の形・関係の形・ケアの形が
創造的に行われていくことでこそ人間を人間として捉えることができるのだと思いました。
革命的著書! ★★★★★
自分は患者なのですが、この本は圧巻でした。

特に慢性的な「痛み」を抱えた病者が、「疾患」へと還元されている、
とする指摘には目からうろこです。
まさにこういったことが昨今の日本の医療で問題化していたことです。
これが10年以上も前にすでに叫ばれていた事実に驚きです。

なんでも欧米追従型が良いという事ではありませんが、
日本がこの点に関しては遅れているのだと認識せざるを得ませんでした。

医師、看護師などの医療従事者は言わずもがな、
患者、そして一般の人々も一読の価値は十分にあります。
臨床人類学のスタンダード・テキスト ★★★★★
 バイロン・グッドらと共に、アメリカにおいて臨床人類学という学問を定着させた功労者であるアーサー・クラインマンの定評ある名著。
 著者の主張を要約するとこのようになる。「病い」は客観的プロセスというよりは、患者によって生きられる歴史であり、何よりも語られるもの(ナラティヴ)である。そして患者による病いの語りを臨床に携わる者はまず傾聴するところから臨床ははじまる。そしてひとにとっての「病い」の認識や意味を知ることが「臨床人類学」であり、臨床者に求められるものである、ということだ。
 この発想は、「病歴」を客観的かつ科学的に考えるという、従来の西洋医学の考え方とは対立する。しかし、著者の主張は、医療者側は今まで「病気」だけを視、「病い」を視てこなかったのではないか、というものである。
 もともと著者は精神医学者としてスタートしているが、メンタルヘルスに携わる人だけを本書は対象にしているわけではないことに注意が必要だ。むしろ、本書はわれわれに「病い」とは何か、という問いを突きつける本なのである。
 この考え方はさらに鷲田清一の「臨床哲学」によって、患者のナラティヴを傾聴することが「癒し」になる、とする「聴くことの力」という形でさらに発展させられていることを指摘しておく。
 医療従事者のみならず、病む人と接するすべての方にお勧めできる。