貴重な証言としての価値
★★★★☆
赤塚不二夫さんと担当編集者との関わりが、元担当編集者本人によって詳しく描写され、赤塚さんの破天荒な生き方が生き生きと伝わってきます。バカボンやレッツラゴンのアイデアがどの様に生まれてきたのかなど、漫画を読んでいるだけでは分からない裏側のようなことが詳しく書かれています。
しかし、私がどうしても感じてしまったのは筆者の傲慢さです。若手の漫画家をはたいただの、『あだち勉は失敗したがあだち充が成功したので一勝一敗』だの、自分が関わらなくなった後の赤塚漫画を『一箇所も笑えなかった』と片付けておいて、その頃自分が無理に頼んで描いて貰った読み切りは『俺の為に書いてくれたからいい出来だった』とでも言わんばかりに表現しているように感じられたり…
勿論、文章の端々から漫画への深い愛情は感じられるし、編集者という人達が漫画製作において非常に重要な立場にあるということは想像出来ますが、ただの一漫画好きとして、どうしても編集者は実際の漫画製作において一切ペンを握ってすらいない、ただの裏方であるという意識がある私には、ところどころが鼻について、素直に入り込めませんでした。読んで楽しんだというより、貴重な話を読ませてもらって良かったという感じです。
サイテーでサイコー! 笑いにすべてを賭けた男たちの挽歌なのだ。
★★★★★
いきなりで恐縮だが、昭和50年代以降、赤塚先生のパワーが低下して行った(とされる)のには、何か「これだ!」という特定の原因はなかったのではないか。まして、そのことで誰かひとりを責めるのは、何か違う気がしてしょうがない。いくつか複合的な要因はあったとは思うが、たとえ誰であろうと、愛猫の菊千代であろうと、先生のパワーの低下を止めることは至難の業だったはずだ(というか、こんだけ長くそのテンションをキープしたギャグ漫画家って、他にいないと思うし)。
とまれ、この本は『レッツラゴン』などで知られた(『少年フライデー』は担当していない)、サンデーの赤塚番=“武居記者”が、赤塚先生について、その作品づくりの実態、そして先生との濃密なつきあいについてなどを綴ったものだ。意外にも全体を通して「俺が俺が」的なニオイはほとんどなく、冷静なトーンで貫かれているが、持っていき方がうまいせいもあって、読んでいるとどうしても乗せられるというか、自然と心が熱くなってくる感じ。とりわけ、初めて“武居記者”がフジオ・プロ(のあるビル)に足を踏み入れたあたりで漂う緊張感、臨場感、そして赤塚先生のカッコよさは圧倒的。まるで自分もその場にいるような気分になってくる。これまでこの本を読まずにいた“赤塚フリーク”の方々にも、ぜひこれはお読みいただきたい。
なお、本書に登場する信じられないようなエピソードの多くは『アカツカNo.1―赤塚不二夫の爆笑狂時代』の巻末にある、赤塚番編集者座談会―生前の赤塚先生も同席―の中でも語られている。こういうの読んじゃうと、あまりのヒドさに「ま、これじゃしょうがないか。国民栄誉賞もらえなくても……。」なんて思ったりもするけれど。いや、やっぱり贈ってあげてほしいなー……。どうでしょうか、麻生さん。
マンガ家の骨までしゃぶる編集者!
★★★★★
ある意味、ほめ言葉だよ。だけど、当時、『少年フライデー』も『レッツラゴン』も、ひどくつまんなかったぜ。あんたのせいだ。いまさら読み返す価値はないと思う。
『バカボン』は、赤塚の読者へのサービス精神に溢れていて、毎回、お! という、キレがあった。なのに、その後、担当編集者にだけ媚びるようになって、視野から読者が無くなった。ラーメンにつかってる写真を見たときは、赤塚先生、なんで、、、って、さみしかった。
この本を読むと、『バカボン』のマガジンサンデー移籍事件のころに何があったのか、どうして赤塚ほどの大物が業界で潰されてアル中になったのか、が、わかる。
ジャンプの全盛時代に、手塚はチャンピオンに乗ってはい上がってきたけど、赤塚はセンスの古いマガジンやサンデーに義理立てして、編集者に振り回され、急激に読者との関係を絶たれてしまった。石森や藤子、つのだ、古谷だって、その後に生き残ったのに。編集者って、マンガ家と読者をつなぐのが仕事じゃないのか?
この本に書いてあることは、編集者の自画自賛。だから、それを突っ放して読んでこそ、もはやもの言わぬ赤塚側の言い分が聞こえてくる気がする。
やっぱり赤塚不二夫は面白いのだ
★★★★★
担当編集者が書いた、赤塚不二夫の生き方とその仕事についての本です。
人気作家の熾烈な引き抜きの話や、担当と漫画家そしてそのスタッフが
苦労して作り上げる一本の漫画が出来るまでの話や、担当外れて以降も
つきあった二人の仲が、読みやすく描かれています。
「レッツラゴン」が読み返したくなりました。
生きる力
★★★★★
作品が好きだとしてもその作者にまで興味が及ぶケースは少ない。
私の赤塚不二夫のイメージとは、
「おそ松くん」「天才バカボン」の作者、タモリのパトロン、アル中、
「まんが道」の登場人物としての赤塚不二夫。
上記のイメージには、赤塚のそれぞれの側面が表れているが、
本書によって、はじめて人間としての赤塚不二夫に近づいた感がある。
イメージが有機的に統合されたのだ。
石森章太郎やつのだじろうとの交流も興味深いが、
生い立ちに関する話が一番印象に残った。
赤塚氏は満州生まれ。戦後母親とともに奈良へ引き揚げる。
父親はシベリアに抑留され、解放されたのはその4年後である。
赤塚の破天荒なギャグは、壮絶な幼少時代の経験からもたらされた
生きる力だと思った。