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日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書)

価格: ¥799
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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無意図的な人間形成は、しつけに入らない!? ★★★☆☆
昔はよかったとステレオタイプに賛美することの誤りを主張した本で、誰もが納得する本だと感じました。
しかし、この本を読み、私はしつけとは何だろうと思いました。

最初に、無意図的な人間形成は、この本ではしつけとしない。
意図的なものをしつけとすると書いてあります。
しつけとは、意図的なものだけなのでしょうか。
また、いつの時代を言うのでしょう。誰かも書いていましたが、よくあるのは昔はよかった、とそれを批判するパターンです。

いずれにしても、しつけをどのようにとらえるかによって、見方が変わると思うのです。
教育に無関心ならしつけていない、教育的関心を高めたらしつけたともいえませんよね。

受験 ★★★★☆
推薦入試でこの本を読んで感想を書く作文がありました。
急いで読んだのであまり身に入ってこないかなと思いましたが、
結構読みやすかったです。
教育。。。答えを見つけるのゎなかなか難しい分野ですが、
この本を読む事によって、自分が将来子供を育てていく上で必要だと思うことを学べました。
ごもっとも ★★★★☆
もう大抵の事は他の方のレビューで言われているので特に言う事を思いつかないが、本書の論旨は日本の躾はよく言われるようには衰退しておらず、むしろ多くの親が非常に教育熱心になっている事、昔は躾がしっかりしていたなどとは言えない事などを指摘するもの。だが感覚的・体感的な不満は高まっている。(体感治安と同じだ)著者によればこれは実際に躾が衰退しているとかモラルが低下しているとかによっているのではなく、単に躾に対する考え方、価値観が多様でありさらにそれに世代差・階層差・個人差が加わるせいだという。何が望ましいか分からない人が増えているとかではなく単に望ましいものが変化してきていると。非常にごもっともなのだが、モラルハザードや躾の衰退を叫びまくっている人々はこう言ってもなかなか納得しないだろう。彼らとしては恐らく価値観が多様化した事、正しいもの、望ましい事が変化した事、自分と異なる躾観が存在する事それ自体が許せないのではないか。そういう人にかかれば本当は同じ程度に教育熱心な親も全く躾をちゃんとしていない悪い親という事になる。こういった構造も著者は指摘している。「階層差であれ個人差であれ、しつけ態度は社会的に多様に分布してる中で、しつけに厳しい目を持つ人達がしつけに寛容な親を批判するレトリックとして、誤って時代的な変化を読み込んでしまう」(186頁)

「昔はよかった」というありがちなノスタルジーに対する批判は言う人は言い続けているのだがやはり根強い。本書では躾に限らず青年少年のハン罪にも言及されるがこれについても「昔はよかった」「昔はこんな事件は起こらなかった」などというのは事実に反した戯言である事が言われる。最近の本でも同じ論旨で反響を呼んだ本があるが、本当にいつまでたっても変らないなと思う。今も昔も「昔はよかった」だの「最近の若者は」だのという言葉が飛び交うのと同じく、今も昔も「それは違う、それはただのノスタルジーだ」「よくぞ真実を言ってくれた」という言葉も飛び交っているわけだ。
昨今のしつけ ★★★★☆
昔は家庭のしつけがもっと行き届いていた、昔の子供はもっとのびのびしていた、昔は父親の存在感がもっと強かった云々に始まり、翻って今の家庭や子供、親はおかしい、という(よくある)言説に対峙する本。「昔はよかった」というのは、往々にして昔を美化しすぎで、牧歌的あるいはロマン主義にすぎるという点を、さまざまな資料を駆使して説明。そして、価値観やモラルだけでなく、マスメディアの位置づけ/存在感が昔とは変化しているので、「今の家庭、子供、親はおかしい」という社会的イメージが作られるのではという趣旨。全体を通して説得力大。

根強い「昔はよかった」論に対抗するためか、著者が研究者だからか、比較的単純な論旨を示すのに必要以上のページ数を費やしている感もした。「調査/研究結果」として多大な資料を分析、紹介するのは必要だと思うが、一般向け新書としてそれが適切なのかは意見が分かれるかもしれない。序章、最終章、あとがきを読めば著者の主張は明快に理解でき、またなぜ著者がそう考えるのかも理解できる。その他の章は必要に応じて、という読み方もあり得るかと。

教育責任の主体は、「教育者」だけではなく「子供の周りの人全て」という観点のコミュニティ論。 ★★★★☆
核家族化、地域共同体の衰退が進むことで、コミュニティを中心とした教育システムが崩壊したことに対する問題点とそれに関する議論。

戦後、高度経済成長期を経て、子どもの教育の担い手が、完全に学校にシフトしていくことになる。戦後まもなくは、家庭が集まることで、地域コミュニティが成立し、その中で、家族が、またコミュニティにいるおばちゃんとかが子どもをしけるシステムが出来ていた。

けれども、コミュニティが崩壊し、それぞれの家庭が、他の家庭の干渉を受けることなし、そして手を出すことがよくないことであるかのような風潮で、子育てが行われるようシフト。

親たちも、教育は学校任せにして、教育の結果起こった問題点はすべて教師の責任という考え方。

教育としつけは、みんなでするものであると再認識させられる本です。