明治天皇の時代
★★★★☆
著者は日系二世のアメリカ人で、日本近代史の研究者。
本書は、『Splendid Monarchy: Power and Pageantry in Modern Japan』(1996年)の翻訳。アメリカ版が出る前に日本語訳が出るという、不思議なことになっているが、これはアメリカでの出版準備中に、部分訳として日本版を出したため。一般読者向けに分かりやすい部分が選ばれており、取っつきやすい本となっている。
訳者の米山リサ氏はフジタニ氏の研究仲間。
「創られた伝統」やクリフォード・ギアツ、ベネディクト・アンダーソン、ゲルナーなどの流れを汲んだ、1980-90年代のナショナリズム論のひとつ。ノラの記憶の場、フーコーなども利用されている。明治期という時代を明治天皇を中心にとらえなおし、国民形成や中央集権化といった問題を論じている。
主たる切り口は3つ。明治天皇の全国巡幸、結婚式・銀婚式・葬儀などの儀式、明治天皇の視線である。巡幸と儀式は、天皇の存在を国民にアピールすることで国民化を促したというもの。大筋は納得できる。いまとなっては目新しさはないが。また、肝心の巡幸の部分が訳者によって割愛されてしまっているのが残念。
明治天皇の視線の議論は、ちょっと納得いかない。議論が詰め切れていないのではないか。
また、全体として違和感が残る。京都についての分析とか、巡幸を見た人々の感想とか、資料的には根拠があるのだろうが、議論の中にこのように位置づけてしまって問題ないのか。
とはいえ、日本近代への入門書としては充分に価値のある一冊と思う。
明治の民衆はいかにして「国民」になるのか?
★★★★★
身分制と幕藩体制によって意識的には全くバラバラであった江戸時代の民衆たちは、明治時代に入っていかにして「国民」になっていったのであろうか?国民国家論、「創られた伝統」などに興味がある人にはオススメの一冊。とてもわかりやすいです。
本書では様々な事柄が論じられているため、以下に各章ごとのおおまかに内容を紹介してゆきたいと思う。
第一章では、近代に入って地景(トポグラフィー)と天皇に関わる儀礼が政府によって創造された、と筆者は論じる。それらを通して政府は、江戸時代までの民衆文化とは異なった、新しい「公式文化」を民衆に植え付け、国民化を促したのだ。もっとも本章は第二章以下の導入となっているため、詳細な説明は少なく、かわりにクリフォード・ギアツやピエール・ノラなど筆者の理論的基盤について論じられる。
第二章では、第一章で軽く触れられた地景と天皇の儀礼について詳細に論じられる。筆者によれば明治20年代頃までは天皇の巡幸が日本各地へ行われていたが、20年以降はほとんどなくなる。そのかわりに、東京や京都、他にも神社や練兵場などが儀礼的・象徴的空間(地景)として整備され、数多くの儀礼が行われるようになる。こういった国家の正当性を語る場のネットワークが人々を取り囲む事によって、人々は「国民」化されていった。
第三章では、政府によって構築された天皇像が二面性を持っていたことが論じられる。一つは、海外に向かって次第に発展してゆく日本を代表するといった世俗的な面を表す、男性的な天皇像。もう一つは、神聖かつ政治を超越した存在、そして歴史的に脈々と受け継がれてきた存在としての天皇像。そしてこの天皇像の二面性は、第二章で述べられた文明としての東京と古都としての京都という儀礼的地景の対比に見事に重なる。だからこそ、天皇の二面性は人々に受け入れられたのだと筆者は述べる。
第四章は、フーコーの理論を基盤にしつつ天皇の視線について論じられる。フーコーの理論では規律的権力は、王による上からのまなざしや君主制的権力によってではなく、不特定・不可視の監視者の匿名的なまなざしによって下から行使される。しかし、日本では天皇が不可視化される、あるいは天皇のイメージが巧妙に利用されることで、君主制的権力と規律的権力が融合し、天皇のまなざしが人々を内側から規律した、というようなことが述べられる。
第五章では、筆者は現代の天皇や皇室像の平板化・凡庸化と電子メディアの関わりについて、昭和天皇の葬式の儀礼を分析しつつ論じる。
大変面白い視点
★★★★☆
落ち着いて考えてみれば、日系外国人の著者に指摘されるまでもなく、気付いているべき問題であった。
本書は、戦前の「姿の見えない天皇陛下」「御真影の中にしか見えない天皇陛下」という抽象的な存在が、戦後の全国巡幸に始まり、メディアの発達の中で「姿の見える天皇」に代わって行ったことに伴う、日本人の立場の変化を独自の視点で検討している。
尤も、People か Citizenの違いが分からないと、天皇の変化によって国民の変化を理解するのが困難である。
そこを、この本は様々な資料から浮き彫りにしてくれている。
大変面白い視点での本だと思う。
昭和天皇の誕生日に