ルイスの考察の中核を成すのは、インターネットは実は何も引き起こしてはいないという見方である。それはただ、社会における一種の穴を埋めただけだという。そのもっとも顕著な例が、「インサイダー」と「アウトサイダー」を隔てる溝である。
『Next』でルイスは、「“自己”とは我々が自分の置かれた社会的状況に対応するためにかぶっている仮面にすぎない」と考える社会学者にとって、インターネットがいかに理想的なモデルたるかを立証する。10代になって間もないニュージャージーの少年が従来の投資システムをあざけるかのように軽々と大金を稼ぎ出して、株取引の不正を取り締まる証券取引委員会に目をつけられることになったのがインターネット上でのことなら、砂漠の小さな町で退屈しきっていた、運転免許を取れる年齢にすら達していないマーカスという少年が一番人気の法律エキスパートとなったのも、インターネット上でである。彼はAskme.comというサイトで、殺人容疑に対する抗弁から、ある不正な取引において詐欺罪に処される寸前までにどのぐらい稼ぐことができるかといったことまで、ありとあらゆる法的問題にアドバイスを提供する(ちなみにマーカスはイリノイ州在住の人物から寄せられた後者の質問に対し、5001ドルと答えている)。
また、マンチェスター郊外のさびれた町に住む左翼に傾倒した14歳の少年は、奨学金を得て進学校に通うことすらできないほど貧しく、1日のほとんどを(少なくとも料金が安い時間帯のほとんどを)「デジタル社会主義」に没頭して過ごす。彼は、仲間同士のコンピュータ交信という新たなフィールドを生み出した悪名高いファイルシェアリング・プログラム、「Gnutella」の第2弾の開発に余念がない。
ルイスはこれらの少年たちの姿を追いながら、名声や権威の再分配、社会的順位の逆転、マネー文化の変容(資本の大衆化およびギャンブルの「罪としてのステータス」の喪失)、正式な教育が持つ価値の低下、そして知識の交換の必要性の高まりなど、インターネットが貢献したさまざまな社会現象を検証する。
ルイスの洞察は鋭い。凡人たちの行動をおもしろおかしく描写する一方で、社会的意義を考察するときの彼は非常に綿密で思慮深い。ルイスは、10代のオンライン投資家、ジョナサン・ルベドについて、彼は「自らをプロと呼ぶ人々でさえしばしば自分自身で考えることができず、また多くの人がお金に夢中になりながらそれを扱う能力をほとんど持っていない、という市場の真理に、すでに気づいている」と述べる。
ルイスの解説は終盤にかけてやや難解で理論先行ぎみになるが、『Next』は、インターネットが動かす世界を見据える、エンターテイニングで、かつ大いに考えさせられる1冊である。