戦争の実相
★★★★★
中国戦線における戦場体験をもつ歴史学者の手による貴重な文書である。兵站や輸送、補給や栄養に関する部門が軽視されていたことが飢死の最大の原因である。ガダルカナル、ニューギニア、ビルマ、フィリピン、中国大陸など太平洋戦争における主戦場について実情が分析されている。餓死であろうと戦病死であろうと、英霊は靖国神社に祀られることになる。日露戦争において脚気で死去した兵隊が靖国神社に祀られたことと似ている。陸軍における階層性が日本軍の行動を決める主たる原因となった。歩兵や砲兵が他の兵科(兵站、衛生、経理など)より優位にあった。同時に、幼年学校、士官学校、陸軍大学の出身者のごく少数が軍政、軍令の中枢を占めたことが行動の選択肢を狭める結果につながった。本書を他の書籍、たとえば、尾川正二「戦争 虚構と真実」、奥村正二「戦場パプアニューギニア」、堀 栄三「大本営参謀の情報戦記」などとあわせて読むと太平洋戦争を視る眼が養われると思う。
日本兵戦死のイメージの一掃
★★★★☆
戦死者の多くが、補給作戦の不備による餓死や病死だったとの話の展開はショックでした。戦後世代の私にとっては、イメージしていた戦争とは程遠く、例えば昔話として聞いた親戚の戦死が、裏に司令官の野望うずまく悪運に過ぎなかったことを知って、なんともやるせない気持ちになりました。本書は学術的な側面が大きいようで、結論を導くために様々な事例を挙げる、という手法が、一般人として読もうとすると少し鼻につきますが、語られる事実には心を打たれました。
靖国を奉りつつも、考える。
★★★★★
何ゆえに彼らは死んでいったのか?作戦部の無能、それ以上に罪悪な人権無視。兵を人間と見ず、補給の確保をせず、精神主義で乗り越えさせようとしていた。精神も根源たる”生”が枯れてしまえば、萎靡するばかりであり、凄惨を極めた状況で、見知らぬ南国に、兵を物量として、たいした兵器を携えさせずに、突入させ、敵との交戦よりも、栄養不足により、死に至らしめたらしい。作戦部のなんと愚かなことであろうか?しかも、彼らは戦犯として裁かれることは無い、なぜなら英米の利益に供した結果をもたらしたのみだから、作戦部はむやみな、現場、前線無視の断行により、ただ兵力、戦力を一層細らしたに貢献したのにすぎない。
たいした兵器を携行させずに、戦地に赴かせる。どこかイラクの自衛隊派遣に似ては居ないか?
事実を受け止めるということ
★★★★★
著者の藤原氏は、元陸軍軍人であった。戦後、岩波新書『昭和史』の共著者の一人となり、日本現代史研究の第一人者となった。『軍事史』・『天皇制と軍隊』・『昭和天皇の十五年戦争』などの著書がある。その藤原氏が晩年に著したのが、本書である。
藤原氏の晩年は、彼にとって決して快いものではなかっただろう。「教科書が教えない歴史」から、これまでの戦後歴史学の成果を「自虐史観」と批判する人々が登場し、政治的影響力を振りかざす中で、藤原氏は本書を世に問うた。「英霊」として、靖国神社に祀られた死者の多くは、戦闘行為そのものによる死者ではなく、戦病死や餓死であったのだ、と。そのような死者を累々とさせたのは、他ならぬ日本軍である、と。
藤原氏は「そのことを死者に代わって告発したい」と、明言している。なぜ、そんなことになったのか。藤原氏は戦場の実態から日本軍の精神性にまで言及して、そのことを平易な形で解き明かしている。
私は、歴史の善悪を云々するつもりはない。ただし、事実は事実として受け止める必要があると考える。日本の戦死者の過半数が餓死者であった。この事実に、日本の近代の末路が凝縮されている。