いくつかの疑問
★★☆☆☆
親鸞の思想ではなく、行動についての謎のいくつかを解明することを目的として本書は書かれている。
はっきりとした解決は示されないし、独創的な見解も少ない。
ただ、忍性の律宗教団を取り上げたことと、
法然・親鸞の仏教は、個人の救済を目指す宗教であるとしたことは評価できる。
しかし、36頁で「法然は、口称念仏を選択し」と述べ、
91頁では「念仏は阿弥陀仏によって選び取られた」と述べている。
正解は、もちろん「阿弥陀仏が念仏を選択した」である。
細かいことだが、123頁で「いったん帰京したのに関東へ戻った」と言うが、
まだ関東には一度も行っていないのに「戻った」はないだろう。
また28頁では、『正明伝』に赦免後京都に立ち寄って、
法然やそのほかの人の墓に詣でたという記述を疑問とすることなく引用しているが、
親鸞が書いた文章、『教行信証』や手紙に「墓」という文字は見られない。
そもそも「造塔」を自力の行として、法然も親鸞も否定している。
「塔」が釈迦の骨を納めた「墓」だとすれば、「造墓」も「墓詣で」も肯定するはずがない。
生前、法然も親鸞も墓に埋葬されることを望んではいなかったと言われている。
同様に、123頁に引用する仏光寺派の『親鸞聖人伝絵』の「伊勢大神宮に参詣したまふ」と
125頁に引用する『正明伝』の「伊勢大神宮へも御参詣あり」という記述を
疑問としないのも納得できない。
親鸞の教説は、神祇不拝ではないのか。
つまり、これらの記述はそれぞれの時代に迎合した捏造ではないのかと疑問視すべきである。