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テレビの嘘を見破る (新潮新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 新潮社
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愚作・・・ ★☆☆☆☆
自己弁護もいいところで読むに値しない愚作。ブックオフで100円だったがそれでも損した気持ち。
ドキュメンタリー作家が語るやらせと真実の境目 ★★★★☆
ドキュメンタリー番組では作り手の作為がどこまで許されるかというのが本書の主題です.「テレビの嘘を見破る」というタイトルですが,著者自身もやらせは見破れないと言っているとおり,決してやらせを見破るためのノウハウ本ではありません.非常に真摯に議論しています.

ドキュメンタリー番組は真実のみを映すべきなのか,再現はどこまで許されるのか,作り手と作品の関係性はどこまで開示しなければならないのかなど非常に難しい問題を含んでいます.

映像そのものは事実であったとしても,撮り方や話の進め方は作り手の意図にしたがって行われるわけですから,いずれにせよ作り手の主張を反映したものとなるでしょう.そもそも情報というのは,データをある意図にしたがって整理したものを言うわけですので,どこから見ても真実という情報は存在しないのかもしれません.

テレビが全て真実を伝えているとはさすがに思いませんが,ドキュメンタリーのあり方,見方を考えてみるのによいでしょう.
ドキュメンタリー制作に関する雑感を書いたもの ★★☆☆☆
題名に偽りあり、というのが、このレビューでいちばん伝えたいことです。

TV全体ではなく、ドキュメンタリーだけが対象です。
また、制作者の論理だけが語られています。ドキュメンタリーの制作に関わってきた著者が、自身の制作の経験や、自身が視聴した作品について、そこで用いられた手法を解説しています。それに加えて、後半では、制作者の側でなされてきた、これまでの議論を並べ立てています。いずれも制作者の言い分であって、視聴者の言い分はひどく軽視されています。

結論でいきなり「メディアリテラシーを身に付けろ」とか言い出すあたりに、テレビ屋の高慢さを感じないでおれません。

『ドキュメンタリー制作者の言い分』というタイトルだったら、まだ納得づくで読めたように思います。
タイトルに期待するも、結局は制作者側の論理で... ★★★☆☆
過去に放映されたドキュメンタリー番組や映画などを例に、やらせ、捏造や誇張などの実例を挙げ、これらに対する様々な考え方を紹介した書。比較的平易な言葉で書かれており、多くの読者が理解可能。

『テレビの嘘を見破る』というタイトルから、これまでに知られていない手口などを紹介しているかと期待したのだが、挙げられている例は大々的に問題となったものや、非常に古いものがほとんどで、意外性に欠ける。また、このタイトルから、著者は視聴者側の立場で制作者側を糾弾するかのように予想されるが、最終的には『作り手の自由』、また資本主義の原理には逆らえないとする、つまり作り手側の論理ともとれる立場で主張しているように感じた。また、結局はメディア・リテラシー、つまり『視聴者の見る目を養え』というありきたりの結論に達しており、他の書と比較しても優れているようには感じなかった。

一応、作り手の自由にもルールが必要とは述べているが、『事実に忠実である』というルールにしても、作り手の主観にまかされるのでは意味がないように感じる。例えば、某テレビ局が『南京大虐殺はあった』という結論ありきで証拠を集めた場合、結論に合致していると思われるものは信憑性が乏しくても採用され、不利なものは除外し、かつ制作者は『事実に忠実である』と思い込んでいるに違いない。つまり、著者の述べる方法は一見正論のように聞こえるが、制作者側のモラルによってどうにでもなってしまうと思われる。現に、ドキュメンタリーかバラエティーかを曖昧にする言い逃れをしたり(元々これらに境界はないのだが)、前世思想や予言を増長させる番組がのうのうと放送されている。たとえバラエティーであって、制作者が注釈をつけようとも、前世や死後の世界、生まれ変わりを信じて自殺者が出るほど、映像の影響力は強い。

著者の策であれば、結局は視聴者自身に責任を委ねているのだが、最も影響力の強いテレビ側が、論理的思考を正しく学び、主観的な立場のみに依拠する政策手法を改善しない限り、騙される視聴者が後を絶つはずがない。したがって、本書は、テレビの放送内容を鵜呑みにしている一部の視聴者には、メディア・リテラシーを考える入門書にはなるかもしれないが、既に他の書を読んでいる者にとっては物足りないと感じるはずである。で、星3つの評価。
10 年をかけてなお整理されていない 「やらせ」 問題の論点 ★★★★☆
著者は「やらせ」の問題と必死にとりくみ,10 年をかけて結論をだした.すなわち,現場で撮ったナマの映像だけでは明確なメッセージをつたえることはできない.「伝えたいことがあれば,そのために考えられるありとあらゆる最善の方法を考える,というのが作り手の原点です.ただそれだけが,作り手の原点だと思い定めること.それしかないのではないか,というのが,私の現在です.」 10 年をかけたというが,まだ受け手を十分に説得できる論理はそこにはない.

しかし,もうすこし説得的にするためのヒントはあるのではないかとおもう.そもそもテレビは現実をすべてつたえることはできない.現実の一部を画面にきりとってつたえることができるだけであり,その時点ですでに,著者がくりかえし書いている「ありのままの事実」をつたえることなど不可能である. 著者はこの点を指摘していない.

著者が指摘している重要な点のひとつは,取材することによって取材される側に影響をあたえてしまうこと,たとえばカメラでうつされたひとがいつのまにかカメラを意識して演技してしまうということである.著者はまた,映像をただしくうけとるためには受け手がリテラシーを身につけている必要があるが,現在の日本ではそれがカリキュラムにとりいれられていない点を指摘している.著者はほかにもさまざまな重要な指摘をしているが,惜しまれるのはそれが整理されていないため,おおくの読者にはみのがされてしまうだろうということである.