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現代帝国論―人類史の中のグローバリゼーション (NHKブックス)

価格: ¥4,187
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日本放送出版協会
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普遍主義的普遍主義批判 ★★★★★
本書のタイトルは『現代帝国論』だが、帝国主義とかの話はほとんど出てこない。
むしろ内容はサブタイトルの「人類史の中のグローバリゼーション」の方が的確に表している。

まずネグリ=ハートを援用しつつ、「帝国」を「何らかの普遍的なものによって世界を説明しつくすもの」とする。
その上で、自然・人間・聖性という根幹にかかわる概念の定義が流動してしまう事態を、『大転換』を援用しつつ「ポランニー的不安」と名付ける。
以下ではこのポランニー的不安への対処がメインとなる。

ポランニー的不安には、なんらかの普遍主義の擁立というネオコン的なものと、いっさいの普遍性を認めない方向とがあるが、筆者はその双方を退ける。
代わりに筆者が採用するのが、普遍主義は批判するが、それは何らかの相対主義的発想や個別的発想に基づいてではなく、より高次の普遍性に基づいて批判するというメタ普遍主義である。

メタ普遍主義のもとでは、普遍性の存在そのものは想定するが、それは簡単に現前するものではないので、提唱される普遍性を単純に信奉すべきではなく、普遍性はつねに張り替えられていく。
そしてこの発想のもとでは、人類はつねにポランニー的不安と向き合ってきたことになる。

ここら辺の発想は、なんとなくポパーの批判的合理主義や、デリダの法の脱構築あたりの議論と近いような気もする(デリダとはだいぶ違うかも)。


最後の結論は大きく迂回していかにも凡庸なものではあるが、その結論よりもむしろそこにいたるまでの長い思考の道のりの方が味わいは多いだろう。
確かに本筋から外れているのでは、とか、通説とは違う筆者の相当な解釈だな、と思うような援用もあるが、それを含めても本書では多くの思想家が扱われ、それぞれ鋭い指摘がなされているから、十分読むに値するだろう。
超越性が無効になった世界を生きるために ★★★★☆
 1971年に生まれ、ウォーラーステインに師事した歴史社会学研究者が、「帝国」論をめぐる混乱を整理するために、既存研究の盲点を問題化する形で、2008年に刊行した本。著者によれば、現在の「帝国」論では、社会の底が抜け、その無根拠性が露呈し、定義や線引きが流動化するのではないかという、「ポランニー的不安」が問題になっているが、それは人類史的に見ればむしろ常態である。近世帝国においては、理念としての普遍性を分有することで、その不安を管理し、ひとつの「世界」として閉じた秩序が構成されていく過程が、ユーラシア規模で並行して生じていた。その後の過渡期としての近代を経て、現代の「帝国」は再度、普遍性の構築によってこの不安を管理する必要に迫られている。その際の普遍主義の候補としては、国家の下に集結せよと説くネオコン的=ネオ・ホッブズ的普遍主義(フクヤマなど)、不安を前提にあえて連帯せよと説くシニカルな普遍主義(大澤、橋本など)、多元性のために空虚で形式的な普遍性に耐えよと説くメタ普遍主義(ラス・カサス、トッド、ウォーラーステインなど)が挙げられるが、本書ではこの内メタ普遍主義をより良いものと見なす。すなわち世界の底はたえず張り替えられているのだという事実を前提に、普遍主義の孕む暴力性を絶えず警戒しつつ、現に自己もその中にあるコミュニケーションを通じて、そこに生じていることをよく観察し、共有されているであろう規範へ絶えず立ち返ること、グローバルに考え、ローカルに行動することを提唱して、本書は閉じられる。おそらくは、不安に押し流されずに冷静かつ批評的に事実を見つめ、対話と実践を通じて地道に試行錯誤していくという方向に、現代思想を整理したものと思われるが、全体的に議論が抽象的である感は否めない。
結論が尻すぼみ ★★☆☆☆
 大仰なうたい文句で読み始め、気宇壮大な構想に引っ張られて、難解(時に意味不明)な文章と悪戦苦闘しながら読み進めたが、丸1日かかってやっとたどり着いた「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」という結論の月並みさには非常にがっかりした。