土木環境工学と建築土木史の学者である著者ペトロスキーは、ギリシャ神話から風俗史までカバーする該博な知識を用いて、技術の本質をやさしく解説する著述家でもある。本書は、ペーパークリップのほか、鉛筆の芯の折れやすさの力学、ジッパーの開発物語から入り、徐々にファクシミリ、橋など複雑で大型のテーマに進むが、心配は無用だ。著者の、技術は人間の活動であり人間性に左右される、という一貫した考え方に支えられ、どんな技術も単純な失敗と、作ってみて初めてわかる不具合を克服しながら進歩することを実感しながら9つのテーマを読み進められる。
第1章でとりあげる、長さ約10センチの針金を3回曲げただけのクリップは、絵になる形とシンプルな機能が好ましい文房具だ。19世紀後半に英国のゼム・リミテッドという会社が扱いはじめ、以降、現在にいたるまで改良型が続々と産み出された。その試行錯誤の話に加え、多数掲載されているレトロな特許認定書の設計図やレタリングの欧文の美しさなども好事家には楽しめる。しかし、雑学的な興味だけの底の浅い話では終わらず、しっかりと物づくりの本質に迫っているのが本書の魅力だ。全編を通じて専門的な話にやや難解なところもあるが、面白い発見にひっぱられて気にならない。
巻末には、原書が1996年刊行である本書の内容を補足する、名和小太郎による「解説」があり、読者の理解を助けてくれる。現役の技術者、工学専攻の学生、専門外の読者、すべての層にとって意義ある楽しい1冊だ。(坂本成子)