本書の貫く主要なモチーフは2点ある。1つは、「脳死」の論議が「死の医学化」という近代的な現象の延長で行われていることに対する警鐘の意識。もう1つは、生理学的な認識を基礎にした「個人閉塞する死」という認識に対する、実感的な批判である。
死は個人のものではないと著者は言う。家族や近くの人々にとって、故人の死は生理学な死と共に訪れるのではなく、思い出を想起したり、ふと感じる不在の感覚といった経験を繰り返しながら、時間をかけてやってくるというのだ。つまり、みとる者とみとられる者との関係の中にこそ死の実体はあり、そうである以上、これと独立した「故人閉塞した(生理学的な)死」の判定に基づいた脳死など、根本から認められないというわけだ。
基本的な観点から離れずに、あくまで丁寧な考察を進める著者の手つきは、誠実で見事なものだ。推進であれ反対であれ、政治的な立場を超えて、多くの人に手にとっていただきたい。(今野哲男)