小説を味わうより、子の立場で考え込む
★★★★☆
人生の最晩年を生きる男女の恋愛を、1行の無駄も無い文章で淡々と描く。
三人称だが、男の側の一人称のような三人称である。
大学時代に1度だけ戯れに接吻(ああ、この言葉がぴったり!)したことのある男女が、
それぞれ伴侶を失い、70代になってふとしたことがきっかけで会うようになる。
三度目の逢瀬で50年ぶりに唇を合わせるが、女は地方の老人ホームへ入る決意であることを
男に告げ、恐らくこれが最後の逢瀬という覚悟で別れる。
男にとって女は、心の奥底に微熱を抱えるようにして思い続けてきた相手であるが、
女の方はもしかしたら、最後の閃光のような生の充実を求めていたのかもしれない。
やもめ暮らしは男より女の方が永く、一過性の恋愛を女は何度か経験しているのかもしれない。
読者の年代によって、この小説から受ける感動は大きく違ってくるだろう。
押並べて、この小説の男女の年齢に近ければ近いほど、読後の感動は大きいかと思う。
私はといえば、おおよそこの男女の子の世代。だからつい、これが自分の親だったらと、
現実的な対応策を考えながら、文芸作品を味わうにしては随分と忙しない読み方をしてしまった。
老人ホームに入ることが、まるで娑婆と隔絶してしまう刑務所暮らしのような印象で描かれているような
気がして、なんで? と反発を感じたかと思えば、好きあってるなら、子供が出来る心配もないし籍がそのままなら相続問題も起こらないんだから、いっしょに暮らしちゃえばいいじゃない、なんて考えてしまう。世間体なんて超越して好きにやればいいのに。二人の年金を合わせて一つ屋根の下に暮らせば、買い物や家事をしてくれるパートの家政婦さん、雇えるよ、きっと。そうして数年楽しんで、入りたくなったらホームに行けばいいじゃない。それとも男の方が家もなにも処分して、女と同じホームへ入所するか。
なーんていろいろ考えてしまう。
その一方で、熟達した筆による完成度の高い小説世界の中を流れる時間、淀み逆流し、また不確かな未来の薄闇へ向けてひっそり流れ始める、小説の時間に、魅了される。
2方向へ割かれてしまって、なんとも言えない気分です。
不純な気持ちが洗われました
★★★☆☆
新聞の広告を見て思い当たるものがあり、早速ウェブサイトから購入しました。若い時は小説をよく読んだものですが、最近は趣味的なものしか手に取らなくなくなっていました。少し熱い気持ちを持ちながら読み始めましたが、進むうちに一層熱くなり、一気に読み終えてしましました。普段、身勝手な妄想を抱くことが多々あります。刺激を追い求める性格でしょうかね。読み終えて、その点、不満が少し残りました。女性が覚めた気持ちで対応しているようで、男性の熱い期待は、現実はこんなものだと思いながら、空しく過ぎ去っていった感じでした。不純な気持ちが洗われたことで、良しとしましょうか。本好きな知人の女性は、貸した本を一日足らずで読み、誰にでもありそうな出会いでしたね、の感想でした。
老いの世界に光彩を放つ
★★★★★
「春の道標」で黒井千次氏と出会った。
終戦から幾年もたたない混乱の時代を背景に、高校生の痛切な恋愛をみずみずしい文章で描いた「春の道標」に私は心奪われ、幾度も読み返した。主人公・明史のヒリヒリとした恋の苦悩に共感したのである。以来、30年近く「春の道標」は私の大切な一冊として書棚の片隅で保管されてきた。
その黒井千次氏が「高く手を振る日」を発表された。私がかって感銘を受けた著者の作品、しかも「老人の恋を主題とした小説」とのことで大いに期待して本書を手にしたが、一読して期待を裏切らぬ上質の出来栄えに感嘆した。巧みな構成、抑制された筆づかい、情景が浮かぶ的確な描写、リアリティのある台詞、まさしくプロの熟達の仕事であった。もっとも、小説技巧への賞賛は新人作家に対しては適切であっても、すでに十分過ぎる実績を積み重ねられた黒井千次氏に対しては「失礼」のそしりを免れまい。
私が感嘆したのは、「人生の行き止まり」を意識し始めた主人公・浩平がかって心動かされたことのある重子と再会し、「新しい道があるかもしれない」と胸を熱くし、やがて訪れた別れを受け入れるまでの彼の心理の移ろいを鮮やかに描き出したことにある。歳を重ねても男と女が惹かれあうのは自然なことなのだ。黒井千次氏がこの作品に込めたメッセージは明快であり、「老い」が視界に入りつつある私を深いところで励ましてくれた。
浩平が重子への思慕に焦燥する姿には「春の道標」での明史の棗への態度との共通点が認められ、二人には作者自身の体験が投影されているように感じた。つまり「高く手を振る日」は、黒井氏が極められた文学的成熟であるとともに、「春の道標」「黄金の樹」に続く氏の私小説的な作品であろうと、私は理解したのである。
重子さんを思う
★★★★★
「旨汁」云々は、5月9日付の毎日新聞書評にあり、激賞。
5月16日付の日経新聞書評でも褒めています。
4月8日付の毎日新聞にはご本人の弁もあり、
伊藤整の「変容」に言及されています。
浩平さんはリタイアしていますが、
在職なら、今野敏「疑心−隠蔽捜査」になります。
恋愛感情は若い人の専売特許ではなく、
生きる証のようなものなのですね。
その衝撃に耐えた人は果報者なのでしょうか。
思うに、重子さんの気持ちは、
その行動と選ばれた言葉、浩平さんを通しての像で
汲むしかない。
「いまだ渡らぬ朝川渡る」重子さんは、
「待ち取る岸」ではなかった浩平さんを置いて、
改札口に消える。
かなしからずや。
いつでも女の方が勇者かも。
命短し恋せよ嫗(翁)
醍醐味
★★★★★
辻原登の驚嘆すべき書評に出会い手に取った。
書評の視点は「時間の旨汁」という生の繰り返しの中で実現する生きてきた別個の時間の擦り合わせにより生ずる時間の実感つまり生の充実である。
二人はとうに相方に死別した。再会は5・6年前の大学時代の共通の友人の葬儀であった。
老年の、先の見えた二人の息詰まるような恋物語である。
それは、三回の逢瀬で完結する。最後が、題名の「高く手を振る日」の別れのシーンである。このあたりの分析も鋭い。
緻密で、余計なものがなく深く考え抜かれた構成と抑制の利いた文体とが相俟って一気に読ませる。
まるで、この世というよりあの世から見た出来事のようだ。
とうの昔に小説から遠ざかっていたがレベルの高さに驚き堪能した。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏をボロディンクゥワルテットの演奏で聴く感じだ。