インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

“子育て法”革命―親の主体性をとりもどす (中公新書)

価格: ¥1
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
Amazon.co.jpで確認
着眼点のよさ ★★★☆☆
世上に出まわっている子育ての本からは反対のアプローチであり、そこそこ説得力があった。スポック、松田道雄という名前は家の書棚にも見たなあと想起したくらい。子育てにも潮流のようなものがあったわけだと、気づかされた本である。

個人的には、同世代のキャリアウーマン的な女性ということもあり、「闘っている」ガンバリズムのさまがなんとも共感も呼ぶ! ハッピー(オッパッピー?)な母子癒着アドバイス本に疲れた若夫婦は是非読むべし!
まだ議論が荒いかもしれない ★★★☆☆
身近な他人の子育てを見て「何もそこまで子供に追随しなくても・・」と思わされることは多い。親はよくとも、迷惑千万・不愉快千万な子供たちの言動に、同じ社会の住人として辟易させられることも、多々ある。現代日本のママさんたちがこぞって<子供中心>の育児に勤しんでいることを憂う筆者の心情に共感を覚える部分は多い。

しかしながら、やはり読みにくい本ではある。
「抱っこ」「離乳」「添い寝」などの話題がごちゃまぜで議論が少しバラついている感もあり、筆者の言いたいことは、分かるようで、なかなか分からない。最後の二つの章(5章と6章)で、やっと筆者の言いたいことが見えてくるが、ポイントはやはり明確な形で最初にどんと持ってきておいてもらった方が良かったと思うし、終盤でさらに再び厚く論じてもらえる格好であれば、より説得的だったように思う。前置きが長すぎるという印象。

松田道雄氏の子育て法の解釈については、少し疑問を感じた。彼は<子供中心>の子育て法の提唱者というより、既に世に出回り始めていた育児マニュアルに世のママさんたちが縛られないよう配慮した方であり、根本的には本書の筆者と同じスタンスのはずである。
松田氏以外の育児書の引用からも様々な解釈を行っているが、言葉尻を浅く捉えているという印象は拭えない。ご自分の著書も同じ扱いをされかねないことを思えばもう少し慎重さが欲しいところである。

本書の主張は、「抱っこ法」などによって提唱される甘え受容型の育児法と対立するものではないと感じた。苛立ちなどの感情によって子供の心理を拒絶してしまうような感情的な親にとっては、より理性的なノウハウが味噌になるし、理性が勝ち気味で忍耐強い、優等生タイプの親にとっては、感情と主体性の回復が肝要となる。両者が場面の異なる方法論であるということが冷静に思考され、文中でも配慮されれば、本書は育児中の親たちにもっと受け容れられやすくなるだろう。
「親はなくても子は育つ」けどね。 ★★☆☆☆
著者は追い詰められているんだなあ、と思う。
まじめなんだなあ、と思う。
自分に欠けたところがあると認めたくない人なんだなあ、
人に助けて、って言えないんだろうなあ、
で、「世話好き」では、きっとないんだろうなあ、と思う。
で、きっと世間に少なくないであろうそんなお母さんに、この本は受けるだろうなあ、と思う。

この本は、「親が世話をしなくても子どもは育つんだ!」って言いたい筆者が理論武装のために書いた本のようで、
筆者は社会学者さんなので、社会学的な事実の紹介は中々興味深いです。ただ、その事実から筆者が導き出している論理は、現代の医学的常識(母乳分泌の生理学や乳児突然死症候群の概念などですね)などから考えると、疑問を呈さざるを得ないです。

書名に「革命」の文字がありますが、著者は現在の「子育て支援」すら、目に入っていないように感じます。
「親」に比べれば圧倒的に「弱者」である「子ども」は、著者が紹介するように歴史的にも文化的にもさまざまな局面で「ほったらかし」にされてきています。
そしてまた、著者が感じているように、「母親1人に育児が強制されて、母親が追い詰められている」のも事実です。
現在進行中の「子育て支援」は、「母親だけが育児を担うのでなく、母親の代わりに社会の誰かも子ども(そして母親も)を見守ることにより、母親と子どもを手助けする」ことに主眼が置かれています。
現場を見ている人たちは、「母親1人に子育てを強制すると母親の精神が危うくなり子どもに危険が及ぶ」ってことに、気づいているんです。

本書が「世話嫌いの母の自己弁護」に利用され「ほったらかしにされる子ども」が増える原因になることのないことを、望みます。

子育ての新たな技法の模索 ★★★★☆
 1964年に生まれ、佐藤俊樹・橋爪大三郎の下での大学院生活を子育てに費やし、シンクタンクや三島市保育所運営委員等の経験を持つ社会学者が、こうした経験と学問とを結び付け、変わってしまった社会環境にふさわしい子育て法(選択可能な技法としての)を模索して、2004年に書いた本。1930~70年代の日本では、家業のかたわらに行なう「風習の子育て」と専門家の推奨する「科学的な子育て」との二つの規準があり、共に親中心であった。前者は母親の多忙ゆえにときには母子の健康を損なう過酷な面を持っており、後者は「西洋式育児」と類似しつつも現実的・実践的な方法であった。しかし乳児死亡率の低下による後者の目標喪失と前者の消滅により、1980年代半ばには子ども中心の「超日本式育児」が新たに創出され、子育て法が一元化された。それは母親から労働という制約を除去した上で、風習の子育てを基本に西洋式育児の見直しの潮流を混合したものとされる。その結果、母親に課せられる「やって当然」のレベルが上昇し、子ども数の減少にもかかわらず育児時間は増加し、母親の育児不安、虐待が深刻化したのみならず、子どもの幼児的万能感の長期持続ゆえに、学級崩壊や少年犯罪の多発が見られるようになった。こうした分析を元に、著者は子どもを独立した人格を持つ存在として見なし、子どもが責任を持てることを少しずつ増やしてゆき、終着点で親子の対等が実現するような子育てを推奨し、親が自分の欲求を言葉できちんと伝え、子どもと対話する努力をすること、突き放すべきところは突き放して見守ること等をはじめとする具体的な育児法を提案している。親の側も自分の人生でほどよい自由を手にしながら子育てをする方が、よほど安定した子育てができるというのである。興味深い事実が分かる上、概して説得的に感じられる。
テーマの着眼点はいいが…最近よくある議論でもある ★★★☆☆
欧米式の「親優先」の育児提起のような気がしました。
ご自分の経験を踏まえたとのことですが、添い寝はしない、
母乳育児にこだわらないというのは、どんなものかと思います。
風土、文化に根ざした育児の千絵も尊重していきたいと思います。
親がつかれていては幸せな育児はできないという面はあっても、子育てはたいへんなのはほんの数年、親に忍耐寛容が求められる時期は短いのです。
子供優先にすべきと私は思います。