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クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)

価格: ¥515
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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死に至る病、それは「女」 ★★★★★
「わたし」は汽車の旅の途中、ある老人に出会う。乗り合わせた客たちの
間で結婚について議論が紛糾する中、その打ちぶれた老人は、きわめて
否定的な結婚観を披露する。一段落してその老人は、なぜそういう思想に
至ったのか、彼の半生を彩る恐るべきある事実とともに、「わたし」に向け
て語り始めた…。

ベートーヴェンの曲名を名に持つ本作と、タイトルがその名も「悪魔」という
二編の中編を収録の本書。解説によればこの両作品が収録されたのには
意味があり、それはこの両作品に共通する、当時作者であるトルストイ自身
を悩み苦しませていた性愛の問題である。本作を収録した別訳の文庫も近
年出版されているようだが、そういう意味でこの組み合わせで読む方がいい
のかもしれない。

トルストイはこの両作品の中で、恋愛も結婚もセックスも浮気までも、男女
の営みをけっして明るいものとしては描かない。それは男を惑わせ、悩ませ、
時に死に至らしめる恐ろしい病なのだ。

男にとって女とは何者なのか。「彼女ら」は実体的な存在であるだけではな
く、隙あらば彼ら男の脳内で増殖し始める観念という名の“病”なのだ。相手
が今何をして何を考え、自分をどう思っているのかというのに思いを巡らすの
は、恋慕の常だ。それは一見、甘美な経験のように聞こえるが、当事者にとっ
ては苦痛以外の何ものでもない。なぜなら、それは自分の思うようにならな
い相手への憎悪と、相手を思うようにできない自分の不能への絶望を自覚
する経験に他ならないのだから。

この物語の最後、ミソなのは結局最終的に“事実”が本当のところどうだった
のかは誰にもわからないということだ。哀れな男は虚妄の末に妻を欲望し、
憎悪し、決断を下してしまう。

日本においても殺人のうち近親間でのそれが多分を占めているというのは
周知の話。赤の他人と一緒になり家族を築くというのは平和的な営みであ
るとともに、時に「戦争」にさえ一変する。そう、まさに「戦争と平和」。
性交渉観察の結果の ★★★★★
哲学の自習みたいなものなんだろうか?機械的且つ、多面的に男女関係の深淵に主人公通して迫ろうとしてるように見える。
”クロイツェルソナタ”の方は、ある老人の行きづりの乗車客への罪の告白。そして人間はいかに愚かか、男とはどうあるべきかが物語を通して提示されてるような気がする。そして老人の主人公が過去の罪の懺悔ついでにロシアの当時の社会を批判する。的を射てる物もあれば見当外れすぎなのもあるのが面白い。
”悪魔”の方は、成功してきたあるお坊ちゃんの悲劇。些細な事が大きくなって逃れられなくなっていく。
悪いのは社会か?内面か?悪魔は誰だったのか?
作者はモテたらしく性欲の強さも自覚していたらしいので、両作の男女の機微に基づく描写も妙に納得させられてしまう。
こんな本も読めるなんていい時代だ。勉強になるし。
『クロイツェル』もすごい作品ですが『悪魔』も圧倒的です ★★★★★
夫婦間の葛藤と嫉妬を息苦しいまでの迫真性で描くとともに、
「性」という、人間である以上避けて通れない事柄に対する
トルストイの真摯な追求と痛烈な文明批評が全編を覆う
『クロイツェル・ソナタ』、それにある女性に心を奪われ
ついに破滅に至る男を描く『悪魔』の二編がおさめられています。

『クロイツェル・ソナタ』の主人公が語る物語は
その文明批判の鋭さと激しい嫉妬が招く悲劇の描写が圧倒的です。
単に性の問題にとどまらず、夫婦という男女のぶつかりあい
(これは多分にトルストイ自身の夫婦生活を反映しているのでしょうが)
をここまで突きつめて書いた作品は、現代日本には皆無と言って良いでしょう。
(島尾敏雄氏の『死の棘』などがこの範疇の作品かもしれません。
また余談ですが、主人公が妻と音楽家の関係を嫉妬するあたりは、
トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』を想起させます)

『悪魔』は地位にも家庭にも財産にも恵まれたある男が
或る女性に心ひかれ、破滅に至るまでを精緻に描いています。
男女の問題によって、分別も社会的地位も備えた人間が
破綻してしまうことは決して現代でも珍しくありませんが、
この人類普遍の問題を誠実に、しかも鋭く描き出した
トルストイの文学者としての時代を超えた偉大さには
脱帽せざるを得ません。

原卓也氏の翻訳は、現代に生きる私たちが読んでも
全く違和感のない自然な日本語で、原作の迫力を充分に伝えています。

クロイツェルソナタ♪を見事に表現した小説 ★★★★★
確かに性問題に対する社会の堕落を痛烈に批判した内容であるが、ただそれだけなのだろうか?私は読後、ベートーベンのクロイツェルソナタを聴いてみた。いろいろバイオリンソナタを聴いてはいたが、このクロイツェルソナタほど衝撃を受けた曲はない。バイオリンとピアノのぴったり息の合った奏者2人だけの誰にも入り込めない世界がある。まさに、熱愛する男女が熱い想いをお互いぶつけあう情熱的な曲。私にはそう感じた。トルストイは小説家である。クロイツェルソナタを聴いて触発され、この曲を小説という形で表現してみせた。私にはそう思える。
性欲に関する透徹した深い洞察力に感銘 ★★★★★
トルストイの禁欲思想自体は一見つまらない退屈な思想にも見えるが、彼が性欲に翻弄される人間の姿をいかによく捉えているかこの2作を読むとよく分かる。
本当のところ私はトルストイの性欲に対する厳格な否定は誤っていると思っている。性欲があるから正当な夫婦愛も成り立つという性の持つ本来の側面を必要以上に否定しているように思えるからだ。トルストイ自身が妻との関係でこじれたのも彼の行き過ぎた性欲否定に起因していると思える。
だが人間がこれまで性欲ゆえに他人を不幸にし自らも破滅に瀕してきたということも人間の真実であり、こういう人間の根源性に真面目に取り組み、性欲に囚われた人間存在の根源的な課題を描いている作家は実は稀有な存在というべきである。現代文学は誰もがフリーセックスを当たり前のように描くが、トルストイはそれとは正反対の立場に立つという意味では、実は彼こそ、退屈にして社会に害悪を撒き散らすばかりの多くの現代文学に対する革新的なテーゼを提示しうるのであり、真の正義を代表しうる作家のように思えるのである。
彼の禁欲思想はそういう人間の罪と不幸を知悉した賜物であるという意味で有意義な思想と言えるのではないか。20年前、洞察力に富んだこの2作を読んで大変な衝撃を受けたことを私は忘れられない。