東宮夫人・晴子との道ならぬ恋に、信長自身うつつをぬかしている間にも、じわじわと形成される信長包囲網。前久は、最後の仕上げとして、光秀に信長暗殺の斬り込み隊長になるよう迫る。さらには、首謀者たちと引き合わせて、彼を「本気」にさせようとする。これが本能寺の変直前に開かれた、有名な愛宕神社の歌会である。
光秀が詠んだ「ときは今天が下しる五月哉」という句は、謀反のくわだてが読み取れると従来解釈されてきたが、著者はこれを一蹴する。光秀ほどの教養人が、自分の野心をひけらかすほど不作法ではないというのだ。むしろ、挙兵せよと促されたことに対しての覚悟の返答なのだと、著者は『平家物語』などを用いて開陳している。このくだりは、斬新な謎解きを見ているようで、非常にスリリングである。
本能寺の変を朝廷対信長の王権抗争ととらえることによって、この事件は俄然新鮮味とおもしろみを得た。無駄のない文体と描写が、さらにこの小説を力強いものにしている。(文月 達)