※パーツバック:1973年没。
私は個人的には新約篇はまさしく日本人である私達でも知っている様な想像通りの内容でありました。要は聖書に出て来るであろうChristは常に正しく又、全ての人に善良であり、濡れ衣を着せられたり、嫌がらせを仮に受けると分かっていても決して反抗する事無く、又予知能力もあり、未来の全ての事が分かっているとしても決して怒りを表に見せる事のない、そう言うまさしく理想的なイエス・キリストでありました。本当に心優しき又、何とも素晴らしい力を持ち、又、そう言う力を秘めたイエス・キリストでありました。
しかし、旧約篇はどうでしょうか。確かにパールバックが記している通りに宗教上の理由はないとしていますが、事実上私はChristchanではない為、事実は正直不明ですが、これが聖書の内容かと思われる文面でありました。
実際に聖書の内容を西洋人の友人達に聞くと、「聖書に書いてある内容は余りにも理想的過ぎて神の言おうとしている事は余りにも難し過ぎて、普通の人間は行おうとしても所詮は無理。」と言う事だったのですが、それではパールバックの云わんとしている事は、又、この旧約篇は事実とは反しているのでしょうか?しかし、この旧約篇は、私或いは私達が想像するChristやChristchanから余りにもかけ離れ過ぎていて、余りにも人間的過ぎます。落胆を隠せずに私は後半部分で読む事を放棄してしまいました。私の想像していた新約篇通りの内容の旧約篇ではありませんでした。