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幻の大連 (新潮新書)

価格: ¥152
カテゴリ: 新書
ブランド: 新潮社
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小国世代の人とはちょっと違った大連を知ることができます。 ★★★★★
戦前の大連について知りたくて読書。

昨年12月末にお会いした愛親覚羅顕g(顕キ)さんの2歳上の著者。ほぼ同世代の大連を生きた女性である。本書は2008年出版なので90歳を超えて書かれた内容である。まず、そのことに自体に敬意を表したいと思う。

本書には触れられていないが、著者は戦後、故郷大連へ帰省されたのであろうか。もし、帰省したのであればどのように感じたのであるもぜひとも知りたいところだ。

久しぶりに読書後に描いたマインドマップがB5ノート見開き2ページ一杯に埋まった。
レビューでも書きたいことがたくさんある。しかし、とりとめがなくなるので、興味がある方はぜひ手にとって読んでほしいと思う。

今まで知らなかった情報を多く知ることができた。実際に生活していた人ならではの描写だと思う。

昭和12年の21歳まで過ごした著者は小学生くらいで日本へ引き揚げた方の回顧録や日記よりかなり現実味を感じることができる。70代以下の小国世代の人だと戦後直後の歴史観に影響されていることが多く芯がグラグラしている印象が否めない。しかし、著者はそのへんのグラグラした印象を感じさせない。

今大連に住む日本人としてできることは何かと考えさせられる内容だと思う。

近所である星ヶ浦(星海公園)、ペチカ、ヤマトホテルのアイス、旧三越のホットケーキ、川島芳子、川島廉子、当時の朝鮮人、満州人、日本人などこれまでとは違った一面、ヒントを知ることができて嬉しい。また、牟さんが戦後どうなったのかも氣になる。

補足で残しておくと、
・電気遊園(小村公園)
戦後、動物園、電子城、現在は高層マンション建築中。
・紀鳳台劇場
現在の希望広場。香洲ホテルの対面付近だと推測されるが、それらしき情報は見つけることができないのですでに取り壊されていると思われる。ロシア風の建物で伊藤博文の歓迎会を開いたらしい。
・彌生高等女学校
満鉄旧本社から人民路へ201が通る線路沿いのあったかと思われる。周辺は古い建物があるので、何か残っているかもしれない。ここへ著者や川島廉子が通っていたようだ。芳子が廉子を迎えにきた姿も紹介されている。
・協和会館
満鉄旧本社左側の満鉄保養地内に残っている(鉄路文化宮)。当時の写真も検索することができる。大連一の公会堂だったことは初めて知った。
・ダンスホール
許可されて流行していたこと自体初めて知った。特にペロケ、第七天国が詳しく紹介されている。ともにほとんど情報を見つけることができない。ペロケは現在の勝利広場地上、国美電器付近と推測でき、第七天国は旧遼東ホテル(大連酒店)の7階(当時は7階はないはず?)。
旧遼東ホテル
http://www.dllocal.com/enjoy/item/265

実はまだまだ知らないことだらけだと改めて知らされた一冊。もっと多くのことを知りたいと思う。そして、それを伝えることで役に立つことができれば嬉しく思う。

読書時間:約2時間25分
戦争,殺人事件からたべもの,コンサートなどまで,さまざまな大連のエピソード ★★★☆☆
著者は対象から昭和にかけて大連にくらし,日中戦争当時は内地でくらしていたものの,大連訪問時のようすも書いている.ときにはおもいをこめながらも,戦争や殺人事件などをふくむさまざまなエピソードを淡々と書いている.大連のたべものやコンサートの話題もあって,興味をひかれる.
「日本が危ないなら、皆で大連に疎開していらっしゃい」 ★★★★☆
不思議な作品です。気負ったところはありません。似たような作品に時たま見受けられる、現代から当時を振りかえった後知恵としか思えないようなくだらない「反省」や「悔恨」なるものや現代中国への媚もありません。あくまでも、現在まで著者(現在92歳)の記憶の片隅に残りえたいくつかの出来事が時系列的に淡々とたどられていきます。その筆致は、日本の街とは町の構造から違う大陸の国際的な大都市で生まれ育った人しか持ち得ないような悠々としたものです。それはいうまでもなく植民地での支配者としての生活です。この支配者としての存在は前提とされているなかで、幼年時代から女学校卒業までの生活が、抑制されながらも甘酸っぱい回顧のシーンも含めてたどられていきます。大陸だからこその不思議な日本を捨てた人物が何人も登場しますが、そこにあるのはあくまでも平時の生活です。この生活が崩壊する直前の昭和19年の最後の大陸への旅によってこの作品は終わります。最後まで日本人は植民地の支配者としての現実感覚に研ぎ澄まされることはなかったようです。ここは、raji quartetに描かれた、同じような状況にあったインドの英国人とはだいぶ違うようです。昭和19年になっても相変わらずの時局認識です。しかし、この描写にこそ、その後の苦難が間接的に暗示されているようです。不思議なことに、著者のその後の遥かに長い戦後の生活は言及されることはありません。あたかも語りつくすべきことはもうその後には起きなかったかのように。
なぜか大連にノスタルジーを感じてしまう一冊 ★★★★★
新書なのにエッセイなの?と最初は戸惑ったけれど、読み終わってみれば単なるエッセイではなく、大正末期から昭和初期の大連の様子を肌で感じることのできる優れた読み物だった。
中国人の使用人との生活、海水浴やダンスなどの娯楽、町をにぎわす数々のニュース・・・そんな大連生活の一つ一つが、少女の目から見た主観と、後世の目から見た客観をうまく織り交ぜながら語られていく。
単なる歴史解説本からは得られない、生活のにおいを強く感じることができる。

しかも川島芳子や甘粕正彦など、出てくる人々も豪華。
歴史好きにはたまらないだろう。

モダンで猥雑ではあるが、当たり前の生活が営まれていた都市でもある大連。
その時代を生きたわけでもない自分が本書を読んでなぜかノスタルジーを感じるのは、著者の文章の力だろう。