肩の凝らない文章 ミーハーぶつぞう見て歩き
★★★★☆
柴門ふみさんの漫画や文章をほとんど読んだことがなかったので、軽妙な文章と仏様の不思議な見方に興味を覚えながらあっという間に読んでしまいました。編集部の言う「エッセイとイラストの描ける、女東海林さだおを目指してください」という狙いと意図への「返事」が本文の随所に現れていました。
サイモンさんは徳島出身で京都や奈良の近くに住んでいたはずですが、それまで仏像に関心がなかったのが見事なまでに分かるようなコメントを残しています。別に隠すわけでもなく、開けっ広げな性格がでていてかえって好感を持ちました。お茶の水女子大学哲学科卒業という高学歴ですが、ミーハーな感覚は「仏像鑑賞」というハードルをグッと下げてくれる働きをしています。
京都や奈良を中心に、鎌倉、東北という仏像鑑賞の穴場と言うべきエリアまで丹念に訪れています。編集者同行でタクシーを利用して、1日にいくつもの仏像を訪ねています。印象が薄くならないのかな、門前まで乗りつけるのではなく歩いて訪れれば、というやっかみを言いたくなるような恵まれた観賞の旅でした。
各項目の最後に、筆者の描いた仏像のイラストがあり、漫画チックな仏様をじっくりと楽しませてもらいました。
「仏像を見るなら東寺、三十三間堂、東大寺」という結論でした。ほぼ同感ですが、個人の趣味ですのでとやかく言いませんが、ここに興福寺も加えて欲しいですね。
本書の内容です。広隆寺、清水寺の御本尊 法隆寺と聖徳太子 大阪の秘仏たち 興福寺国宝特別公開 東寺、三十三間堂 仏像のエロティシズム 奈良飛鳥の古寺 鎌倉大仏を訪ねて 若き運慶の傑作 快慶様式の骨太さ 京都の隠れた名品 空海さんの偉業 高野山と道成寺 東北仏像の旅 東大寺のすべて 究極の十一面観音 我が心のベストテン
仏像って、見る人によって、また見る時によって、違って見えるのかも…
★★★★☆
私は芸術もわからないし信仰心もありません。
でも、仏像は割と好きです。
同じ仏像でも、違う時に見たら違って見えることがあるのが、なんとも不思議です。
こちらの心のありようが、もしかしたら仏像のお顔に表れているのかもしれないなと思うことが
あります。
柴門さんが漫画家だというのは前々から知っていますが、作品を全く読んだことがなくて、どんな
人なのかも知らずにいました。
ひょいとこの本を手に取り、ひょいと見た仏像の絵にユーモアを感じて買いました。
文章力は…ノリノリな感じのところもあって、さあ、どうなのでしょう。
そういう「読ませる本」かどうかの議論は置いておいて、サイモン的な解釈(?)を軽く楽しんで、
まだ見たことのない仏像に会いに行く日を心待ちにしていたいと思いました。
仏像は、ベルトコンベアーに乗せられた観光客気分で見てしまうには惜しく、自分のペースでしばし
たたずんで見つめていたいです。
女性視点の「見仏記」
★★★★★
中身はそのまんま「見仏記」ですが「見仏記」が男視点(モノマニアック的な)
なのに対して女性らしい視点が面白かったです。東寺の帝釈天がハンサム仏像
No1というのは、タレントのはなさんも同じ事をいってましたね。
PS
前回のレビュー以降、友人の仏像女子数人にこの本を薦めた所
全員が絶賛し単行本を購入ました。売り上げに貢献したかも。
ちなみに「見仏記」は女子には不評みたいでした。
「読んだ?」「まあ‥いちおう」「資料的な価値はあるかも」という感じで
テンション低い反応ばかりで男女差ってあるんだなと思いました
おばさんの視点
★★★☆☆
柴門ふみは最近は仏像に凝っているらしい。もちろん亀井勝一郎みたいな分かったような分からない高尚な仏像論を書くはずもなく、新薬師寺の十二神将の伐折羅大将はドラゴンボールのスーパーサイヤ人の髪型だ、とか東寺三十三間堂の婆藪仙人は小泉首相に似ているだとか、そう言う斬新かつおばさん的なな視点で書いているのではある。
昔、柴門ふみのファンであった。彼女が大学時代、80年ころの漫画評論専門誌「ぱふ」に寄稿していたころは「ケン吉」というペンネームを使っていた。そのころから絵は下手だけど、勢いがあって、何よりも視点が面白かった。その後、夫(弘兼憲史)が右傾化するのと並行して、ブルジョワ趣味に走り、読まなくなった。奥付けを見ると、彼女はお茶の水女子大の哲学科を卒業していたと知る。道理で論理でまとめようとする傾向と、それを主人公の思いもかけない行動で打ち破ろうとする衝動がいつも混在しているなあ、と思っていた。題材が中産階級の恋愛話でないときの本来の彼女は面白いのだから、仏像哲学をかたるとこれがまたなかなか面白い。
特に「なぜに人々は仏像に惹かれ、拝み、千年以上も守りつづけてきたかというと、それがエロティックだったからだ。理屈を超えてリピードに訴えてきたから。しかもポルノもAVも無修正インターネットもない時代である。『お寺に言って仏像見るとなぜかドキドキしていいんだよね』と民は語り合ったはずだ。」‥‥この説には無条件に賛成する。なぜ仏像は裸に近いのか。「読み書きもできない、文化も芸術も分からぬ民衆を惹きつけるには、裸体である。裸体と巨大さね。この二つに民衆はびっくり仰天しちゃうのだ。」果たして民衆は芸術は分からないと言いきっていいかどうかは別として、これもそうだな、と思う。
ひとそれぞれ
★★★★★
仏像の見方には、ひとそれぞれあり、人生いろいろ、仏像の見方もいろいろ、という最近の日本のトレンドを先取りしている感じで、とてもすばらしい。 奈良に住んでいて、結構仏像は見ているほうなので、サイモン的ブツゾーの見方っていうものに触れることができて、「ああ、そうなんか」「そういう見方もあるんか」と感じることができる私は幸せ。 さあ、来週は、新薬師寺の十二神将を、また見に行こう。
先週、興福寺で、ポール・サイモン(?)に会いました。