偉大な社会科学者が遺した現代の古典
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気鋭の経済学者として出発した村上泰亮は、70年代から90年代初めにかけて、哲学・思想から政治学・歴史学や社会学、人類学におよぶ該博な知識を自在に駆使して、日本と世界が直面する焦眉の課題に取り組み、常に鮮やかな分析を提示した。その集大成ともいうべき作品が本書である。
本書での問題は21世紀初頭における世界の政治経済秩序のあり方である。村上は、戦後日本の経済発展の経験を抽象化し、それを「開発主義」モデルとして提示した上で、世界の政治経済システムが開発主義に正当な位置づけを与えるべきことを説いており、これが本書の中心的主張の一つになっている。
日本型資本主義の魅力が色褪せ、アジアで日本の影響力が減退してしまった今日、開発主義にまつわる村上の主張は時代遅れだという人もいるだろう。また、日本文化の美質についての高い評価は、今日から見れば、バブル時代の儚い幻想に見えるかもしれない。
にもかかわらず、本書の価値は決して失われてはいない。それは、本書の持つ視野と、それを支える思考が、開発主義の妥当性の問題を越えて広く深く、またそれを支える分析があまりにも見事だからである。1章にある進歩主義と保守主義の分析は、この問題に関する最も優れた論考の一つであろうし、3章から5章で展開される国際関係の分析は、主権国家システムの発展について、簡潔だが見事な分析を与えている。国際政治学者の手になるこのように明快な説明を、私は寡聞にして知らない。第10章(下巻)にある国連の問題点と可能性についての分析も、大方の専門家の水準を抜いている。最終章にある文化理解の枠組みについての議論と日本文化論も、広く深い思考に支えられており、知的刺激に満ちている。
本書は戦後日本の経験が遺した「ミネルヴァの梟」であり、次代に生きる私達が、日本や世界の政治・経済秩序を考える上で、繰り返し立ち返るべき古典である。
一元史観の弊害
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自分ではいろいろ考えているつもりでも、ついつい身に染みついた進歩史観の影響からのがれることは難しい。本書の「資本主義」と「産業化」について論じた個所を読んで、そのことを強く感じた。資本主義はひとつのシステムを示す非歴史的概念、産業化は優れて歴史的な概念である。マルクスは資本主義を強引に歴史的概念とし、さらに社会主義を未来を担うべき歴史的概念とした。このことが、われわれの考え方に大きな影響を与えてしまっているという著者の記述は、言われてみればごく当たり前のことだけに、目からウロコが落ちる。さらにイギリスの歴史をたどりつつ、国民国家、絶対主義、民主主義を論じつつ、下巻に続く。
「反古典の政治経済学:上巻」のすすめ
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本書は執筆されてから早くも8年の歳月が過ぎているが,本書で指摘される問題は今なお日本の憂慮すべき問題ばかりである.まず,この上巻で最も重要と思われる章は第一章である.ここはまさにそのタイトルである「思想の解体する時」どおり,思想の一貫性が急速に失われつつある日本の現状について,我々の身近な例を交えて著者の鋭い分析および問題提起を描写している章である.ここで著者は3つの問題軸を設定し,その一つ一つの問題軸を基に後の章で理論的考察および歴史的考察を行い,それらの議論の陥穽を鋭く指摘している.ここで,読者は著者が描き出す鋭い指摘に吸い込まれ,知らず知らずのうちに著者の展開する鮮やかな論理に魅了されてしまうように思われる.やや難解な著書ではあるが,この一章!を読むだけでも多くの読者にとって価値があるように思われる.紙幅の関係上,感想をこれだけに留めるが,私が是非とも多くの読者に推奨する一冊である.ただ一つ残念なことは,この偉大な著書を執筆した著者がすでにこの世を去っているということではなかろうか.