「伊丹十三と映画」が読みたい
★★★☆☆
2005年4月に発売された『伊丹十三の本』は
伊丹十三の人生をカタログにしたような
文字通り伊丹十三“の”本だったけど
映画に関してはほとんど触れられていなかった。
そこで本書の登場ってわけだ。
伊丹十三と映画には
「役者」としての関係と「監督」としての関係。
そして「父親の職業」としての関係がある。
特に父・万作の職業であるというのは
伊丹にとって大きかったようで
生前のインタビューでは映画について
愛憎の感情があると告白していたくらいだった。
そんな伊丹の「映画」をまとめた本書は
伊丹と親交の深かったスタッフや役者の証言が中心。
どれも興味深いんだけど、山崎努と津川雅彦の両名が
「俺が一番、伊丹とわかり合っていた」と
思っているところがほほえましいね。
伊丹がどれだけ慕われてたかがよくわかる。
残念なのは伊丹作品の総括というか
全体を俯瞰した目線が弱いこと。
だからいまいち伊丹と映画の関係がわかりにくい。
伊丹映画って正当な評価がされてないからさ
そんな状況を打ち砕く力強さが欲しかったな。
そろそろ監督についても、お話ししましょうか
★★★★★
監督を好きな人が語り、監督を好きな人が編集した。そんな相思相愛の本だ。
彼の急逝から今年で早10年だ。
有名人の死で衝撃を受けたのは、伊丹十三と松田優作の「家族ゲーム」コンビの時だった。
粋人であり、才人であった英雄は、まさしく「現代のダ・ヴィンチ」の名にふさわしかった。
前作から満を持して登場した本作だが、期待を裏切らない。
映画自体に関する評論は、世にくさるほどある。それこそ、「オレ流ダンディズムの権化」だった彼には、終わったことをどうこう言うのは似合わない気がする。
ここはひとつ、出演者をはじめ裏方さんたち関係者の声に耳を傾け、それぞれの作品の映画評論は個人で勝手にしようではないか。
映画内容に関する評論は敢えて避け、関係者に当時を語らせてそれを全体として立体的に浮かび上がらせる演出は、この本において見事に成功している。
読みながら、なぜかビーチ・ボーイズの「英雄と悪漢」が聴きたくなった・・・。
丹念な取材から浮かび上がったそれは、私の心の奥底を深く激しく抉った。
映画監督でもない私は、後世にいったい何を残せばいいのか。頭を深く垂れたよ、この男には。
それでも「人生とは、恥辱の連続なんだ」と自分を鼓舞したね、わたしは。
そして伊丹映画を愛したすべての人の思いは、この本のラスト、宮本信子の手紙に集約される。
万感の思い、終着せず・・・。
伊丹十三の映画つくりの哲学から作法まで
★★★★★
「伊丹十三の映画」を作った苦労話が一杯だ。
俳優、プロジューサー、撮影、美術、衣装などなど、「伊丹十三の映画」を作った方々が、伊丹十三の映画創りの哲学から作法までを熱く語っている。
演劇の裏方をしたので、共感するところが多く、興味深く読んだ。
最初の「お葬式」から最後の「マルタイの女」まで、奥様の宮本信子(現在NHKの朝ドラで活躍)を主役に、しかも、大型俳優を駆使して、完璧な映画を作った。
この本を読んで、もう一度「伊丹十三の映画」を見たくなった。
映画に興味のある方は、必読と思います。
「伊丹十三の映画」というタイトルに異論あり。
★★★☆☆
「伊丹十三の映画」と銘打っているけれど、俳優やスタッフによる、伊丹十三と初めて出会った時の思い出話や撮影のこぼれ話が中心で、「映画そのもの」に関する記述がほとんどありません。「考える人」が作る本だと思って期待して買ったのですが内容の薄さにいささか裏切られました。もう少し「読み応え」のあるコンテンツが欲しかったです。