ミーナの行進と共に、やさしさと郷愁がふりそそぐ
★★★★★
2006年の小川洋子さんの作品ですが、これほど完璧にそれでいて控え目にやさしさと郷愁を歌い上げた作者の
想像力と大胆さに素直に感動させられた作品です。
病弱ながら裕福な家に生まれ、暖かい人々に見守られて育ったいとこのミーナと、その家に一年間だけあずけられた
主人公の日々が淡々と綴られます。センセーショナルな事件も大恋愛もありませんが、宝箱の中にそっとしまわれていたかのような
物語は、無条件に心に清涼感を与えてくれます。
二人が共に過ごした日々は、懐かしいお菓子と本と動物たちに囲まれ、家族は誰一人欠けることなく、永遠に続くかのような
幸せのマーチが鳴り響いているようです。
読めばきっと、幼いころの懐かしい人に会ったような気持ちになれると思います。
ちょっと期待しすぎちゃった
★★★☆☆
小川洋子さんの紡ぎだす言葉の美しさや、独特の世界に引き込まれ
あっという間に読んでしまった1冊。
本書は岡山の少女、朋子が芦屋の洋館に住むいとこのミーナとその
家族のもとで1972年の1年間を過ごす物語だ。
読者は朋子の目線で、それぞれに心の置き場所が違うミーナ一家の
生活をのぞき見ることになる。
わたし自身、芦屋に住んでいるので地名・店名など、身近に感じる
部分が多い反面、殺伐とした現代からは遠い、夢のような話だとも
思った。
先日、機会があり、郷土の歴史家にお会いしたら、ミーナのモデルや
動物園は実在したとのこと。
まだ本を読む前だったので、期待いっぱいで購入した。
本当に美しい、繊細な文章が連なり、誰もが持つ少女時代の
夢のような一瞬一瞬が封じ込められているような気がした。
特にミーナのマッチ箱のお話は秀逸だ。
70年代を懐かしむ本としてもすごくいいと思う。
ただ、ストーリーに関しては「大きな感動が待っているはず!」と
期待しすぎてしまったわたしには正直、物足りない気がした。
特に「誰も欠けてない...」などの表現は、読者をミスリーディング
するのではないだろうか。
さらに言うなら、他の方も指摘されているが、ユダヤ人は
クリスマスを祝わないのだが...。
クリスマスの場面が話にそぐわず、読みながら強い違和感を感じた。
ミーナの行進
★★★☆☆
「博士の愛した数式」に感動して続いて手に取ってしまったが
期待が大きすぎたのか、いまいちとらえどころがなくて不完全燃焼的な本だった。
ミーナが元気に成長していて安心した。
成長物語
★★★☆☆
岡山で暮らす少女が
芦屋ですごした1年の物語
懐かしくも
ほのぼのした
そういう世界をお楽しみください。
大人の事情の中で育つ子供の側面を
思いだすことができます。
ただ一つ気になること
★★★★☆
とても素晴らしかったが、一つだけとても気になるところがあった。
ローザおばあさんのことだが、明らかにユダヤ系ドイツ人という設定になっているが、後半、クリスマス料理の采配をふるうという場面にびっくりしてしまった。
私は在米35年、ユダヤ系アメリカ人と結婚して30年以上になるが、ユダヤ人の家庭ではクリスマスを祝わない。クリスマスを祝うのはクリスチャンだけだ。キリスト教とユダヤ教は全く別である。ユダヤ人といってもいろいろで、熱心な信者もいれば、宗教色に全く関係なく生活している人もいるが、日本のように宗教に関係なく誰でもクリスマスを祝うということは絶対にありえない。
ローザおばあさんがクリスチャンの日本人と結婚していたというのなら話は別である。そういうケースはこちらでもあって、私達の友人にもそういう夫婦がいるが、彼らの場合は例えば子供が生まれたらどう育てようとか、それぞれの宗教上の祝日などどうしようかとか、結婚する前からよく話し合っておくようだ。たいてい、どちらか一方に決めるか、両方お祝いするかだが、両方する場合は例えばクリスマスツリーのてっぺんにユダヤ教の象徴である「デービッドの星」を飾ったりする。
ローザおばあさんの結婚について上のような示唆が全然ないところへ、突然彼女がクリスマスを祝うのが出てくるのはとってもおかしい。彼女はドイツでクリスマス料理など作ったことはないはず。たとえ、日本人と結婚して、日本式のクリスチャンじゃなくてもクリスマスを祝うといった習慣を知ったとしても、自ら率先して、クリスマスを祝うことはとても疑問だ。
オリンピックのテロを見ている場面で彼女の家族の運命があかされ、彼女がユダヤ人だとわかるのは話の筋に自然に入り込んでいると思うが、クリスマスの場面でそれがぶちこわしになった感があって、とても残念。色づけにちょっとナチスのことをいれてみたという感じになってしまう。
小川洋子さんはそういう意図は毛頭お持ちでないと思うが、ローザおばあさんのことを読むと、またしても、外国人は誰でもクリスマスを祝うという誤解を植えつけてしまうのではと危惧する。また、もし「ミーナの行進」が外国語に翻訳され、ユダヤ系の人に読まれたら、やはり、クリスマスの場面でギョっとしてしまうだろう。