ユニークな洞察の著作
★★★★★
本書はタイトルにもかかわらず、(また京都大学大学院教育学研究科での博士論文であるにもかかわらず)たんなる教育学の書ではない。ソクラテスやニーチェのツァラトゥストラ、そしてとりわけ漱石と賢治が縦横無尽に論じられている、ユニークな著作であり、特定の分野に振り分けることはできない。
強いて言えば、人間が人間を越えたものと出会うことがどのようにして人間と社会を形成するのかに関する、著者の深い洞察と直観の書である。
もちろん、洞察と直観だけでは博士論文は書けない。理論武装が必要である。著者はそれを主としてジラールやバタイユらから借用している。概念枠も必要である。著者は、従来の「交換の教育学」に対して自らが提唱する「贈与の教育学」を対比させ、この対立を最大限利用している。
結果として、本書は総じて稀に見る明晰さを獲得した。とはいえ、このような二元論的な概念枠は、時として論じられる対象の恣意的な解釈につながるという危険を内包していることも忘れてはならない。この種の懸念が当てはまる箇所も本書には散見される。
とはいえ、つぼにはまったときの本書の文章は、人を圧倒する力に溢れている。宮沢賢治に関する数章はその中でも白眉と言える。「逆擬人法」や「心象スケッチ」を手がかりに、本書は、賢治の童話や詩が動物などの他者を人間世界の中へと組み入れるのではなく、人間自身を星や花や動物といった世界に向かって解き放っていくものであると論じている。『春と修羅』の「序」の有名な冒頭(「わたしという現象は/仮定された有機交流電灯の/ひとつの青い照明です・・・」)の意味は、評者にとって長らく不明だったが、本書を通じてやっと明らかになった。
狭い学術的な観点から本書を批判するのはたやすいかもしれない。しかし、本書は優れた洞察の書である。
博士論文から解放された著者が、さらに自由奔放に自らの卓見を語り続けることを期待したい。