人が行う行為の奥深さ
★★★★★
本書の面白さについてはdvrmさんのレビュがうまくまとめられて
いるのでくりかえしません(本書の解説より見事だと思います)。
われわれが行っている経済的な行為が、もともと実効性などの
単純な経済的な価値からだけでおこなわれてきたのではないこと。
宗教的、審美的でもある「全体的社会的事象」であること。
物々交換も貨幣経済も派生的なもので、交換する人と物とか
混交した贈与という行為こそが、一般的に見られる仕組みで
あったこと。
人と物とがあたりまえのように切り離されていることに慣れた
われわれが、時に富の呪縛に翻弄されるのも、これらの残滓な
のだろうか。
贈与交換体系分析から、あり得るもうひとつの社会を構想する
★★★★★
「贈与論」はよく他の著者に引用されていて、一度読んでみたいものだと思っていた。今回ちくま学芸文庫が取り上げてくれたおかげで、手に取ることができた。
直前に、著者の叔父であるデュルケムの「宗教生活の原初形態」を読んでおいたのだが、論述を進めていくスタイルはやはりデュルケム直伝で、独特の鋭さを示している。
内容については、最初に論考の対象と目的、そのための道筋を簡潔に示し、第一章・第二章でポリネシア・メラネシア・北西アメリカの各部族に見られる具体的な贈与交換の形式と内容を示す。マリノフスキーの分析で有名なクラ交換や、モースの名において頻繁に引用されているポトラッチについても、ここで詳しく語られている。
第三章ではそんな贈与交換に見られた「全体的給付体系」が、古代の法・経済の規定に影響を与えていることを、ローマ法・古代ヒンドゥー法・ゲルマン法を例に挙げて指摘する。
第四章では結論として、執筆当時の社会状況に以上の分析を捉えなおし、贈与交換の体系が現代に示唆する「あり得る社会」の姿を構想する。
贈り物を贈り、受け取り、お返しをする、その過程にはモノを交換することにとどまらず、精神的な価値を交換する働きも含まれている。そのような言葉だけならどこでも聴けそうなものだが、モノと同時に心がこめられた贈与交換には双務的な義務が発生し、その義務を履行できない場合には威信や自由を失ってしまうという指摘にはドキリとさせられるし、今の経済で「信用」といわれる関係性がそのような重いものとして発生したという考察からは、「信用経済」といわれるものが抱える不安定さは、上記のような重大さを等閑視させるようにスムーズな形を仮装しているためなのではないかと思わせるところがある。
また、贈与交換が、互いが共同して生きていけるための仕組みを維持するのに有効であることを示し、富の蓄積の上での、再分配の方策こそが現代においては重要だといっている部分も、とてもタイムリーな意見に聞こえる。本文の最後を締めくくるのが「これらの意識的な舵取りは最高度の技法、つまり、ソクラテス的な意味での政治なのである。」となっているのは、論述の着地点としてはとても印象的だ。
今読めてよかった一冊。
遂に文庫版
★★★☆☆
バタイユらにおおきな影響をあたえたモースの『贈与論』が遂に文庫化しました。
ところどころ「状況況」「事例る」など編集ミスがありとても残念です。
二刷目では改善しなければなりません。