「御一新」から数年経った明治のはじめが、この短編集の舞台。武士という職業はとっくになくなり、多くの侍が職業を変えて、必死に生きようとしていた。本書はそんな激動の世に、屈折した感情を抱きつつ生きている「元」侍たちが主人公である。
表題作「五郎治殿御始末」は、桑名藩の元事務方役人・岩井五郎治の思い出を、その孫が語る短編だ。廃藩置県の施行により、五郎治は旧藩士の「始末」(人員整理)を命じられる。元同僚たちに恨まれ泣きつかれながらも、彼はリストラの役目を淡々と遂行していく。そしてそれが終わったあと、五郎治はある決意を胸に、自分自身と岩井家の「始末」をつけようとするのだが…。
この物語では無垢な孫の目を通じて、時代が変わることの悲しみを静かに描いている。『壬生義士伝』でも採られた「語り」口調の文体が、巧く登場人物たちの心情を引き出すのに役立っている。
本書に収められた短編の主人公たちは、みな愚直であり不器用である。今風にいうなら彼らは「負け組」である。しかし彼らは決して卑屈にならない。時代の理不尽さを充分に承知し受け入れて、何とか折り合いをつけようとする。
表題作のほかに、商人としての第2の人生を生きる決意を抱いた元旗本の物語「椿寺まで」、太陽暦の導入に反発しながらも、最後はそれを黙って受け入れていく元幕府天文方の話「西を向く侍」などを収める。
彼らの凛(りん)とした精神の潔さが、いずれの短編の結末をも救っている。読んでいくうちに、知らず知らずのうちに主人公たちに励まされてくることに気が付くだろう。(文月 達)
人間の悲哀と意地とたくましさ
★★★★☆
明治の新政府の統治下でまだ新時代に染まれていない武士たちの生き様を描いた短編6編。
時代の変化から取り残されている彼らの姿は、時に滑稽であり一抹の哀れさももよおすが、
はたと気づくと、時代の流れに流されない一徹さに今日我々が抱く武士の姿を見て心を動かされている。
軽快な文章でユーモラスでありながら最後にほろっとさせる浅田節にまたもやられた。
江戸から明治への転換期という時代設定がベストチョイスで、人間の悲哀と意地とたくましさが巧みに表現されている。
読後感もすっきりと爽やかな小説。
やはり特に、表題の作品がいい
★★★★☆
浅田次郎は、幕末モノは実にいい。女性の目から見た輪違屋糸里 上しかり、斬新な視点から新撰組を扱った壬生義士伝 上 文春文庫 あ 39-2しかり。
本作品は、どちらかいうとこれらの長編とは違って、ほぼ無名の市井の武士(それぞれかなり特殊な技量や職分ではあるが、しかし無名は無名)を扱った短編6作からなっている。
いずれもそれなりに読みごたえはあるが、やはりこの作者の本領は長編の方かな、と言う気がしないでもない。
ただ、その中で、特に素晴らしかったのは、この表題になっている一番最後に収められた「五郎治殿御始末」。
この作品は、私自身の故郷伊勢(三重)の桑名藩の武士を扱ったモノだけに特に興味深かった。
桑名藩は、完全な佐幕の会津藩、親藩でありながらさっさと勤王側にくみした尾張藩、それぞれの藩主と兄弟であった中で、佐幕の姿勢を取って戦いながら(とは言え、会津のように城を枕にしたわけではなく、転戦してしまった)、一方で藩の構成員は勤王側に恭順する姿勢も見せた、複雑な立ち居を示してしまう。
そんな知識は、ふるさとの歴史として多少なりとも知っていたつもりでが、本作にあるような、ドラマが、そこにあっただろうことを想像していなかった。
祖父が孫に聞かせるように話が語られるが、我々が期待する武士の品格、そして商人の力強さ、がとってもいい。
いやぁ、これはなかなか小品でありながら、ずっしりと来る、佳作でした。
明治へのご一新の時代に翻弄される男(武士)達の儚く苛烈な生き様を描いた6編の短編小説
★★★★★
明治への激動の時代に人生を翻弄される男(武士)達とその家族や周りの人達の儚く苛烈な生き様を各々の心が透けて見えるような空気感を持って見事に描いた優れた6編の短編小説集。
その時代の薫りがそこはかとなく文中に漂う中、過酷な運命の主人公達と平成の時代の自分を照らし合わせた時、お金ではない大切な何かが心に染み入って来ました。
昨日偶然、16歳の小柳ルミ子さんをリオで撮影した写真家の方と話をしたのですが、五郎治殿御始末の「語ればいつまでも忘れられぬ。語らねば忘れてしまう」という言葉に結びつき、この優れた6編の小説と共に深く印象に残っています。
魂だけは売り払わない誇り高き侍たちの物語
★★★★★
勝てば官軍。歴史は勝者の記録である。
近代化を伴う大改革として我々は明治維新を認識していた。
欧米列強からの脅威を跳ね除けるには、国をあげて近代化し、欧米化を急がねばならなかったのはたしかだ。
しかし、薩長主体の改革から、妨げられた武士たちにとっては史上最大のリストラとなってしまう結果になった。
武士であることだけに誇りを持っていた侍たちの、歴史に埋められた悲しい物語がここにある。
世界不況に今の時代、なにか共通点があるような気がして仕方がない。
職を失い、生きる糧をも失い、しかし誇りだけは失わなかった侍の姿が悲哀をこめて描かれている。
引きずってきた過去との折り合いに苦しむ男たちの物語
★★★★★
明治維新後の激しく転変する世の中にあって、引きずってきた過去との折り合いの付け方に苦しむ男たちを描いた六つの短編集。“泣かせの”浅田節ではないが、時代背景を最大限利用しながら、ほろっと来させつつも爽やかな読後感を持たせるという、著者ならではの熟練の技である。いつもながら文章も巧いし。
武家政治の時代から四民平等の世へと急激に移っていった維新直後のこの時期。政治・行政の仕組みが激変したのは無論のこと、服装、髪型、暦、時間の観念、通貨等、暮らしの絶対的な基準と見なされていた様々なものが、わずかな間に目まぐるしく急変した。こうした環境の下で生きていると一体どの様な感覚に襲われるのだろうかと、本書を読み終えてふと思いを巡らせた次第。