改めて面白さがわかる
★★★★★
天下統一の野望を抱く父親が魔神と取引したため、生まれながらに体の四十八ヶ所を奪われてしまった少年百鬼丸の活躍する物語。
どろろはその相棒の名前。
奪われた体の部分を取り戻すため妖怪を探して二人で旅をする。
幼少時にはただの気味悪い妖怪相手にヒーローが闘うストーリーにしか見えなかったが
齢を重ね、改めて読んでみると新たな発見もあり面白かった。
手塚治虫漫画全集にて全四巻。
第一巻には、発端の巻、百鬼丸の巻、法師の巻、金小僧の巻、万代の巻、人面瘡の巻が収載されている。
時代の先を行き過ぎた妖怪活劇物
★★★★☆
「少年サンデー」に連載された手塚先生の隠れた名作。しかし当時、出版社が実施していた人気投票で振るわなかったため、"途中打ち切り"という仕打ちを受けた。手塚先生の感覚が時代の先を行き過ぎていたのだと思う。
生まれながらにして体の48箇所が不足している百鬼丸が、妖怪を倒す度にそれを一つづつ取り戻して行くという妖異譚。相手を倒す毎に自身のパワーが増えて行くというアイデアは「ドラゴンボール」の原型と言って良い。活劇と妖怪談を組み合わせた魅力ある物語で、私は興味を持って読んでいたのだが、上述の事情で手塚先生の真の構想が明らかになる前に終了してしまった。百鬼丸と"どろろ"との本当の関係がどうなのかも不明のまま...。"どろろ"と百鬼丸の成長物語の意味合いもあったのかもしれない。
"どろろ"は文字通り、泥んこのヤンチャ坊主として描かれているが、私の見た所、"どろろ"は少女である。本当に最後まで読みたかった。怪異と謎に満ちた妖怪活劇マンガの傑作。
名作であることに、間違いなく異論はないだろう。
★★★★★
ストーリーの独創性や人間のなまなましさ等を盛り込んだ内容である。
まだ第一巻しか読んでないが、それは十分に感じ取れる。
父親の権力欲から醜い子(百鬼丸)、その子を川に流すのに躊躇う母親。
父と母から愛情を受けられず、生きていくのに精一杯の子供らが住む村や
どろろ。これだけでも綺麗過ぎる今の漫画市場にはほぼない。
そういう「人間らしさ」の一方で、百鬼丸の青年のような誠実さ清々しさが
印象的で、醜い子だったがみおと恋するなかで人間的な思いやり等を知った、
というところも印象的であった。しかしなんというか本当にひさしぶりに
読み応えのある漫画に出会えたのが率直な感想だ。
ところで手塚治虫はみおをドストエフスキーの(手塚作品にもある)
「罪と罰」のソーニャを題材にしているような気がするのは私だけでしょうか。
食べものの場面が鮮明に残っています
★★★★☆
2007年1月27日から実写版の映画が公開されている。漫画は1967年から1968年にかけて「週刊少年サンデー」(小学館)で連載されていたらしいが、私はその後1969年から「冒険王」(秋田書店)で連載されたものを読んでいた。
1971年に虫プロの社長を退任した手塚治虫だが、1973年に虫プロが倒産した後に債権者に追われる破目になる。この頃の手塚治虫の作品っていうのが暗くて暗くて・・・「奇子」(あやこ)なんかがその頃の作品にあたる。作品に手塚治虫の実生活の荒みが出ているようで・・・というようなことは読んでいる最中は子供だったんでわからなかったわけで、大人になってからつけた知恵であるわけだが・・・。「どろろ」もそういう時代の作品だったんだろうと長い間思っていたのだが、今あらためて調べてみるとどうだろう?ちょっと時期がずれているか。
私は元来食いしん坊なたちで、「どろろ」も食べ物が出てくるシーンばかり鮮明に記憶に残っている。
創作の神様
★★★★★
手塚治虫の少年漫画では一番好きな作品です。
少年ものとは思えない人間の残虐さを描いています。
それは戦争のせいだけではなく、欲望のためなら
我が子も妖怪に差し出すという親のエゴ、それに
対する全てを失った夜盗の親の息子への無償の愛情に泣けたり
世界に誇れる壮大な物語、傑作だと思います。